川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

陸前高田市への訪問について

今回の支援は、車3台で行いました。
先遣隊が2台。ぼくが乗せてもらった後発組が1台という構成です。
今回の遠征に関しては、算数ドリルが主眼にありましたが、現地で子供たちが遊ぶための遊具が流された事に対する支援を兼ねており、それがボール260球の支援でした。

そんなわけで、ぼくらの車にはこれくらいのボールが積み込まれました。だいたい60球くらいですかね。


その後、でこぼこの東北道を北上し、陸前高田市の市街地へ。ここは割と山の方になるんですが、それでも川沿いに津波が遡上していたようで被害を受けていました。基礎だけになった家が続いています。


陸前高田市の中心街へと入った後、海岸線沿いを走りましたが、日の丸が掲げられていたのが印象的でした。


共に勝ち点5で並ぶ鹿島と水原が、グループリーグ首位の座をかけて直接対決した。ホームの鹿島は当然のことながら積極的に攻撃を仕掛ける一方、アウェイの水原は守備に重点を置く展開となる。

試合後のユン・ソンヒョ監督はけが人や外国人選手の登録が期限内に完了しなかったことを理由に守備的な戦いを正当化するが、そもそも日本のチームに対してはああしたガチ守り、カウンタースタイルは有効だという考えが広まっている可能性はある。

立ち上がりから守備的だった水原をさらに守備的にさせたのが、前半27分のチェ・ソングッの負傷とそれに伴う交代であろう。攻撃のキーマンを失った水原は、ここからさらに守備的に割り切った戦いを推し進めることとなる。
コバルトーレ女川FCを支援するサイト女川サポーターズはなぜ生まれたのか。

英文で書かれた女川サポーターズ(About Us & Contact)をざっくりと日本語訳


◯私たちは誰か

女川サポーターズはスーザン・アンドリューとマイク・イネスによって作られる。

オープン・ユニバーシティで働いていたマイクは、日本の熱心なサッカーファンと知り合うことで、コバルトーレ女川FCに興味を持つ。コバルトーレ女川FCは、女川町の若者が大きな街へと移住するのではなく、女川町に留まってくれるよう努力を続けている。
◯英国のフォロワー250万人の俳優兼作家も支援を表明

「三陸で生まれた月」さんのエントリーによると4月18日(月)の報道ステーションでコバルトーレ女川FCの特集が放送されるそうです。

※若干加筆

3月11日の東日本大震災とそれに付随する津波により、壊滅的な打撃を受けた地域の一つとして女川町が挙げられる。人口1万人ほどの街に押し寄せた津波により、死者行方不明者は数千人の規模に上るとも言われている。

そんな女川町にコバルトーレ女川FCというサッカークラブが設立され、活動を続けている。

漁業と原発の街に、地域の住人を結びつける一つのキッカケとして作られたこのサッカークラブは2006年の創設以来、着実にステップアップを続けてきた。

コバルトーレ女川FC年表
2006年には石巻市民リーグに優勝し、宮城県リーグ昇格戦で優勝。宮城県リーグへの昇格を決める。
07年には宮城県リーグでも優勝し、東北リーグ2部昇格戦で優勝。東北リーグ2部昇格を決定。
08年には東北リーグ2部南で2位。
09年に、東北リーグ2部南で優勝し、東北リーグ2部優勝決定戦で優勝。東北リーグ1部昇格を決めている。
2010年の東北リーグ1部での成績により、2011年は東北リーブ2部での戦いが決まったが、着実にステップアップしてきている事が伺える。
日本人ですら実感としてこのチームを身近に感じられないのにも関わらず、何故だかイギリス人がサポートし、イギリス人を中心に支援の輪が拡がっている。その支援の中心となっているのが女川サポーターズというサイトである。
女川サポーターズ(コバルトーレ女川FC支援サイト・英文)が生まれるまで

top