川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

セピア色の吉田孝行。

 つい最近、ようやく引っ越し先が決まった。数ある物件の中から条件にあうものをピックアップして内見し、部屋の内部を確認しつつ騒音やら日当たりといった周辺の環境も考慮する。本当に面倒な作業だった。ただ、決まったのは部屋であり、引越しそのものはこれから始まる。業者の選定に始まり、引越し本番。そして住所変更に伴う諸手続きが控えている。引越し程度のイベントであったとしても、生活環境を変えるということの負荷は高い。そう考えると、プロサッカー選手が職場を変えることの負荷の高さは尋常ではないだろうということは容易に想像がつく。

 われらが吉田孝行が、古巣(横浜FM)への復帰を決断した。その昔、大分に来た理由を聞いたとき、こんなことを話してくれたことがあった。

「(2000年に)ファーストステージで優勝した時、試合後にチームメイトとスーツ姿で記念撮影したんですがそのときに『なにやってるんだろう』って思った」と。

 すでに試合のメンバーから外されて久しく、ステージ優勝によって現監督の残留は決定的になっていた。もちろん試合に出るための努力は重ねていた。ただ、それでも試合出場のための壁は高かった。フリューゲルスの消滅によって移籍して2年目。とにかく「試合に出たかった」のだ。

 大分へ移籍すると、瞬く間に輝きを見せた吉田だったが、そんな吉田が犬飼の、スターレンスハウスができる以前の、水道しかない練習場で練習する姿はある意味衝撃的なものだった。ただ、彼はその環境を受け入れていた。目指すべき夢があったから。

「何もないのはわかっている。ただ、ここで成績を残すことで新しい物を手に入れる喜びがある」

 そんな言葉を体現するように 端正な顔立ちには似合わない泥臭い仕事を黙々とこなした。攻撃的な役割はもちろん、危機の芽を察知して守備の局面でも激しく動き回った。だからといって驚異的なスタミナがあった、というわけでもない。ペース配分を無視し、「動けなくなったら、代えてもらう」というスタンスで、チームのために動き回った。

 94年に設立された大分は、99年のJ2加入を契機に一足飛びに周辺設備を整えていった。ビッグアイが完成し、天然芝3面に人工芝1面。そしてクラブハウスといういっぱしのクラブへと成長した。クラブの施設が公金を含めて充実することに対して一切の批判がなかったわけではない。ただ、それに対する正当性は、チームが残した成績にあった。

 02年に昇格を決めたシーズンの、吉田とアンドラジーニャとのコンビネーションは鮮烈で、あのシーズンを含めて、吉田がいたからこそ大分は今の施設を手にしたともいえる。そういう意味で、99年以降の大分にとって、吉田という選手は象徴的な存在だった。彼が流した汗は、嘘をつかなかった。

 シャムスカ監督体制下では出場停止を除いて全試合で先発出場。大分の快進撃は彼の献身的な働きによるところが大きく、また、来季の先発メンバーの座もかなりの確率で揺るぐことはなさそうだった。そんな吉田にとって移籍という選択は非常に苦しいものだった。大分で行われた移籍会見では「あえて厳しい道を選び、自分一人で決めた。家族にもサポーターにも迷惑をかけた」と明かし、大分に対する深い思いが涙になった。

 試合を求めて大分に移籍し、そして「自分の中で少しでもレベルの高いところで、代表レベルの選手と競い合ってレギュラー争いをしたいという気持ちがあり、移籍を決断しました」と横浜への移籍を説明した。

 吉田のコメントを読み返すと、吉田が求めていたのはチームの雰囲気だとか、給料だとかではないことがわかる。ただただ彼は、ビッグクラブに行きたかったのである。経営の安定したビッグクラブに行きたかったのである。その思いは、チーム消滅の話を聞いて食事をもどした繊細さ(横浜フリューゲルス時代)や、去年大分が露呈したクラブ経営のずさんさと、はっきりとリンクしている。

 正直に言って、今季の大分が目指そうとするチーム像がわからない。絶対的なストライカーを放出し、あらゆる意味で精神的支柱となっていた選手までも手放ししてしまった。今オフになされたチーム編成には大いなる疑問符をつけざるを得ない。ただ、若い選手を使いこなす手腕に長けているというシャムスカ監督にとって、今季のチーム編成は満足のいくものなのかもしれないし、監督のオーダーがあったのかもしれない。ただ、それにしても吉田の放出は、悲しい。金銭的な損得勘定を抜きにした、もっと大事な感情がそこにはあるのではないかと、そう、思ってしまう。

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 お父さんに連れられて見に行った西が丘での横浜FC戦で、吉田のゴールを見て、ずっと「すげー! すげー!」と言い続けた少年は、地元Jクラブの難関の下部組織セレクションに合格した。吉田のゴールが、一人の少年の人生に大いなる刺激を与えた。

 振り返るといろいろな場面を思い出すが、00年に加入直後の加賀見健介からの、意外性あふれるパスを受け、竹村へのラストパスを決めた仙台戦が真っ先に思い浮かんだ。もちろん原色の記憶も現れるが、セピア色になりかけた記憶の中でも吉田は躍動している。だからこそ、悲しい。この移籍が、悲しい。彼の大分サポーターへの「ありがとう。ありがとう。本当に、ありがとう」というメッセージが、とにかく悲しい。

 ただ、移籍という事実は動かしようがない事実であり、それはもう決定事項となった。吉田には新天地でも、がんばってほしい。そして大分戦では元気な姿を見せてほしい。そのときはサポーターは、愛情満載のブーイングで出迎えてほしいと思う。常々「だめなときはブーイングしてほしい」と口にしていた吉田のことだ。大分サポーターをあきらめさせつつも、うならせる最高のパフォーマンスを見せてくれるに違いない。それじゃだめだけど、1年くらいはまあ、許容範囲内かな。

 とにかく、がんばって。吉田クン。
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