川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

絶対音感」の最相葉月(さいしょうはづき)さんの作品。

 東京大学応援部の応援の対象はアメフトやラクロスなどにも及ぶが、そのなかでも中心となるのが東京六大学野球を戦う野球部である。しかし、この東京六大学野球は、東京大学以外の参加五校がそれぞれ立教大学、早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学、法政大学の私学であり、それが東京大学野球部にとっては重荷になっている。言うまでもなく東京大学は日本最高峰の大学であり、野球部に人材が集まりにくいためである。そのため、東京大学野球部が六大学野球で勝利することは稀となる。例えば2010年の秋季リーグでは11戦1勝10敗と大負けに負けている。ちなみにこの2010年の1勝は早稲田大学に対してのもので、2008年の秋季リーグ以来2年ぶりのものだった。また早稲田大学は斎藤佑樹、大石達也という大物投手が投げており彼らを打ち崩しての勝利という点で価値あるものだった。

 話がそれたが、要するに東京六大学野球における東京大学野球部という存在は、なにしろ弱いのである。そしてこれは、そんな数年に1度勝てるかどうかというような弱小野球部を応援する応援部という組織に密着取材し書き下ろした作品である。

 スポーツの場に本来あったのは勝たせるための声援である。それが応援としての形式美へと昇華する中、その中心にいる東京大学応援部の苦悩は大きくならざるを得ない。応援しても応援しても結果が出ない。それでも、その結果を自らの内面に投影させ、どうその苦しみと向き合っているのか。応援部としての活動の実態をうまく織り込みつつ描き出した良作である。平成十四年(2001年)に取材した題材をまとめたものだ。

 なお、作中に登場する「ハーイッ」や「イイェーッ」は、文字の印象と実際の発声とでは随分と違う。「ハーイッ」との字面だけを読むと、間の抜けた返事、公家さん言葉か?というような印象があるが実際はかなり違う。「ハーイッ」の「ハ」には濁点を付けるべき。「イイェーッ」もそれぞれの「イ」に濁点が必要であろう。




 ちなみにこの本の取材が行われた翌年に取材されたドキュメンタリーがyoutubeにアップされていた。こちらはこちらでかなり面白い。じきに消されるものと思われるので、早めにチェックしておくといいだろう。結構すごい結末である。

東大応援部 涙の奮闘記 我ら花の応援団 その1,2,3連結/全8


東大応援部 その4/全8「地獄の夏合宿で地獄を見た」


東大応援部 その5,6連結/全8「地獄の大出走 往路・復路編」


東大応援部 その7,8連結/全8「2003秋季リーグ 女神は微笑むのか?」


 ちなみに作中の重要なパートを担う笠谷圭司は現在は三田市議会議員として政治家の道を歩んでいるようである。その笠谷と同期で、上記のドキュメンタリーで竹刀を持ち、後輩をしごきまくっていた中井康裕が結婚した際の記事が彼のブログに掲載されていた。ドキュメンタリーでの鬼の形相とは違う柔和な表情が好対照である。

東京大学応援部物語、登場人物
取材時のリーダーは11人、部員は79人

OB3年目
山口隆史 主将、都銀勤務
OB2年目
伊藤麻保呂 石橋、鶴崎2年時の主将兼リーダー長→学ランを復活。石橋、鶴崎に厳しい体罰。主将として最後の神宮で完全試合をやられる(平成十二年十月二十二日、立教大学の上重聡投手が達成。東京六大学野球史上二度目、三十六年ぶり)
奥村直樹 
OB1年目
宮本賢也 宮本先輩、現役時代は学年にひとりだけのリーダー部員

4年生
石橋悠司 主将、武蔵丸とあだ名される巨漢
鶴崎一磨 リーダー長、副将、2002年9月14日の大学野球増刊号のインタビューにて「負けしか知らない人間では終わりたくない」と答える
矢田ゆかり 主務・バンド部員 法学部、トロンボーン
中村格之 吹奏楽団責任者、工学部土木工学科、桐蔭学園出身
武澤慶 ドラムメジャー、工学部電気工学科
大塚哲也 吹奏楽団指揮、法学部
矢島辰朗 ホルン奏者、工学部電気工学科
今野菜穂子 チアリーダー「KRANZ」22人の責任者、農学部生命科学科
奈良場絵美 トレーニングチーフ
米岡真紀子 新人監督、農学部獣医学専修

坂尾昌紀 明治大学應援團長、重要な役割を果たす

3年生:3人
塩沢勇人 法学部、アイディアマン、茨城県立水戸第一高校応援団副団長、中三の時に見た「きけ、わだつみの声」に感動、平成十四年度の赤門鉄声会報に「君が代を誇れない日本と校歌のない東大」との一文を寄稿
中井康裕 リーダー長サブ、工学部システム創成学科
笠谷圭司 一旦退部、「勝つ気はあるのか」のメールを野球部のマネージャーに送信。野球部に意識改革。応援団内部で問題。高校中退後、大検を経て東大入り。山積する実務の中で壊れる。

大島秀之 法政大学応援団
片山勝太 早稲田大学応援部

2年生:1人
西条拓磨 聖徳学園、メガネを壊されまくる
1年生:5人
合田伊知郎 スキンヘッド、姫路西高校、異色のリーダー
長野俊介 都立八王子東高校時代はハンドボール部
高峰史寿 愛知県立一宮高校時代はバレーボール部、アニメ・アイドルオタク。勢いに押されて入部
渡辺隆明 理Ⅲ(東大医学部)、秀才もしくは、天才。厳しさを求めて入部
金俊亨(キム・ジュンヒョン:韓国からの留学生) 「一度海兵隊は、永遠海兵隊」、「ガイジン最初の主将」を目指す

参考資料
東京大学応援部、基本データ(当時)
設立:昭和二十一年秋 六大学野球にて。昭和二十二年五月に東京六大学応援団連盟結成
OB、OGの組織:鉄声会
顧問 菅野和夫教授・法学部長
「ただ一つ」 東京大学応援歌
「闘魂は」
「大空と」 運動会歌、昭和三十年に安田講堂で発見。北原白秋作詞、山田耕筰作曲。昭和七年制作
「足音を高めよ」 学生歌
淡青旗 応援団旗

平成十一年、産経新聞に「東京六大学『歴史と伝統』変化 花の応援団 リストラ時代」(六月六日付)

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