川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

魂の決勝ゴール

 08年のJ1リーグのサプライズとなった大分が、最後にJ2で戦っていた02年の事。C大阪との首位争いを巡る戦いの中、昇格を大きくたぐり寄せる大一番があった。10月13日に鳥栖スタジアムで行われた鳥栖戦である。

 この試合、大分は前半に先制するのだが、後半開始直後に同点ゴールを奪われて歯車が狂いはじめる。当時の鳥栖は40節を終了した時点で獲得した勝ち点が33にとどまっており、順位も10位と低迷。そうした背景を考えれば大分にとっては引き分けすら許されない、という雰囲気の試合だった。勝たなければならない相手に同点に追いつかれた大分は、後半80分に凍り付く。森田にこの日2点目となる逆転ゴールを叩き込まれたのである。

 試合時間は残り10分+ロスタイム。だれもが最悪の結末を覚悟した終盤だったが、ここから大分がドラマを起こした。まずは終了間際の87分。サンドロが同点ゴールを奪う。負けムードを一掃する値千金のゴールに沸き返る大分はその勢いのまま鳥栖を攻め立てると、わずか1分後に西山哲平が逆転ゴールを叩き込んだのである。大分の歴史上指折り数えられる劇的なミドルシュートだった。

 お祭り騒ぎの大分を尻目に、主催者となる鳥栖は敗戦に沈む。そしてそんな状況でも、スタジアムDJには、試合終了後の仕事が続く。当時その場にいた筆者は、J1へと近づく勝利に心躍る思いのまま、試合終了後の場内アナウンスを聞いて心動かされることとなったのである。

 彼は率直に「大分のみなさん、おめでとうございます。このままJ1へ行っちゃってください」と述べると「J1で待っていてください」と続けたのである。

 実はこの発言。ぼくが過去に聞いてきた場内アナウンスの中でも最高に好きなものなのである。祝意の中に「お前ら上がったら落ちてくるなよ」という激励と「鳥栖も絶対にJ1に行くから」という自らに対する強い気持ちが込められていたのである。負けた側から発せられたこれほど男前な場内アナウンスはなかなか経験できるものではない。また、この優しさと思いやりと、決意に満ちた言葉は個人的な涙腺スイッチになっていて、今でもこの話を人に説明するだけで泣けてくるのである。そして、そんな感動的な言葉を口にしてきた鳥栖スタジアム(現ベアスタ)のスタジアムDJさんに先日ようやくお会いすることができた。聞けば鳥栖スタジアムができてからずっと変わらず場内アナウンスを担当してこられているとのことで、まさに鳥栖と共に歩んでこられた方だった。でっかくてなんか黒くて、だけど穏和な口調があの日のあの言葉とすんなりシンクロした。

 6年来の宿願だった上記場内アナウンスに対する謝意と賞賛と、挨拶を果たせた横浜FC戦の試合後、久しぶりに鳥栖の元広報氏と再会できた。彼は会うなり「普通勝ってもそんなに感動したりはしないんですが、この試合は来ましたね」と話を始めた。

 実は昨年から鳥栖の複数の選手は久留米大医学部の小児病棟を慰問で訪れているのだという。この病棟に入院している子供たちは重篤な状態だとのことで、スタジアムに招待したくても、それが原因で体力を使い、病状が悪化する可能性もあるのだという。そういう訳で、なかなかスタジアムへと招待することができていなかったのだという。ただ、去年慰問した際に選手と交流した子供さんの一人は無事に退院し、応援に駆けつけた事もあるという。

 今年は9月12日に慰問したとのことだが、その時に選手と共に交流した子供さんがこの横浜FC戦の応援にスタジアムを訪れていたという。ホームの鳥栖は前半の28分に先制点を奪われてしまうが、その7分後に追いつくと、後半開始早々の47分に勝ち越しに成功。しかし詰めが甘く終盤の78分に2-2の同点に追いつかれていた。

 鳥栖の歴史上最多の観客を集めて行われた熊本との36節の九州ダービーを落としていた鳥栖は、地元紙に「終戦」と書かれ土壇場まで追いつめられていた。J1昇格を念頭に置くと、もうこれ以上勝ち点を落とせない状況の試合を救ったのは、86分に決まった高橋義希のゴールだった。

 そもそも鳥栖の小児病棟への慰問は、高橋がチーム側に相談したことでスタートしており、まさに高橋は発起人。そしてそんな高橋の放ったシュートは、ポストを直撃しゴールの中へ。いろいろな背景を知っている元広報氏は、魂が乗り移ったかのようなゴールを見て珍しく泣いたのだという。



 試合後にヒーローインタビューを受ける高橋。その後、視線をスタンドへと移し、スタジアムを訪れていた子供たちを目で追いかけていたという。

 この慰問は選手側の要望でマスコミを排除して行われてきているとの事。パフォーマンス的な目で見られると本来の目的からそれるのでは、という思いがあったのだという。そういうマジメで不器用なところがまた鳥栖らしい。

 鳥栖を下した相手チームにエールを送るスタジアムDJが、いつまでもその職を失わないのも、損得勘定を100%抜きにして100%自分たちの厚意だけで慰問をする選手や監督がいるという現実を見ても、それが鳥栖というチームのチームカラーであり、これからも失ってほしくはない木訥さなんだろうと思った。

 ちなみにこの横浜FC戦で逆転勝ちしたことで鳥栖は勝ち点を58へと伸ばし、勝ち点59で並ぶ2位湘南3位山形に対し1差にまで接近。「終戦」と評されたどん底状態から這い上がりつつある。気になるのは、消化試合数が1試合多いところだが、慰問に訪れた岸野監督は「オレらの悩みって、ちっぽけやな」とつぶやいており、逆に子供たちからパワーをもらっているようである。昨季は慰問後の最終戦までの戦績が7戦5勝1敗1分けと勝ち星を積み重ねており、慰問前の7試合の1勝4敗2分けと比較しても大きく勝率を上げている。

 小児病棟を慰問した高橋、岸野監督を始めとした選手たちは、幼くして病魔と闘う子供たちを励まし、そして励まされている。混迷の度合いを極める終盤のJ2の中で、鳥栖はどのような戦績を積み重ねていくのだろうか。
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