川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

耐えて耐えて、初戴冠

もう少し主導権を握れるものと思っていたが、さすがにUAEは08年のU19アジアユースチャンピオンである。試合の大半を通じて、日本は守勢に回らざるをえない状態となる。ただ、それでも組織的な守備をベースとした固い守りでUAEの攻撃を跳ね返し、無失点の時間を伸ばしていく。
攻撃面では、永井謙佑のスピードを生かしそれほど多くのリスクを負わない戦いぶり。彼我の実力差を理解し、リスクをコントロールした戦いぶりだった。

過去の関塚監督のカップ戦での戦いを振り返ると、リスクをいかにコントロールするのかという部分に視点をおいた戦いが目立っていた。
例えば07年のACL準々決勝第2戦の等々力でのセパハン戦である。イスファハンでの第1戦を0−0で引き分け、アウェイで勝ち点1を奪ってホームへと戻ってきたこの試合で、関塚監督は思い切った采配を取れずにいた。ひとつには、アウェイゴールルールが適用されるため、セパハンに1点を先制された場合に勝利するためには2点以上が必要になるという点。そして、90分で試合が終わらない場合、30分の延長戦を加え、120分を戦う必要が出てくるという点である。
イスファハンというのはイランの内陸部にある古都で、日本からの移動にはUAEのドバイを経由し丸々1日を要する。イスファハンでの第1戦は9月19日。帰国後、9月23日のリーグ戦第26節の柏戦を経て、第2戦は9月26日に行われるという過密日程が強いられていた。川崎Fは往復の移動による疲労の蓄積がありフィジカルコンディション上非常に難しい戦いを強いられていたのである。

だからこそ、関塚監督は延長戦を見据えた選手交代が必要になるのと同時に、0−0の均衡した試合を、選手交代によって動かすことのリスクを警戒したのである。そのため、川崎Fの最初の交代采配は74分で、2枚目は延長戦突入後へとズレこむ事となる。ご存知のとおり、この試合は延長戦を終えても決着がつかず、PK戦で川崎Fは敗退する事となる。

同じく07年のナビスコ杯の決勝のG大阪戦も関塚監督の采配を知る上では参考になる試合であろう。川崎Fはそれまで採用し
機能していた4バックをやめ、この試合に合わせて3バックでの戦いを選択する。相手の意表をつきたかったという点があるのだろうが、裏をかき過ぎた側面があるのも否定できなかった。試合の方は、自分たちの良さを発揮できない一方、サイドを大きく使われた攻撃で失点を喫し、G大阪に栄冠を譲る事となった。

関塚監督の川崎F時代のこの2つの大一番に関しては、動いている試合に対しては何かを変える事に抑制的である一方、試合までの間にできるだけの準備をするという一面を見せており、それぞれに「慎重さ」というキーワードでくくれるものであろう。そして、そうした川崎F時代の戦いの傾向はこのアジア大会決勝の舞台でも垣間見ることができた。すなわち、1点をリードした74分以降、交代を我慢し続けた点である。特に前線からの献身的な守備により、明らかに疲労の色を見せていた永井を引っ張り続け、また同じように守備に走り回っていた東慶悟、山崎亮平といった選手の交代になかなか踏み切れずにいたのである。

戦力差が大きいため、いつ同点ゴールを喫してもおかしくなかったという点。そして、その場合延長戦が控えているという点を考慮していたのだろう。
UAEが失点の6分後に一気に2枚を代えた一方、日本代表の最初の交代采配は88分の東から富山貴光へのものまで待たねばならなかった。1−0で均衡した試合を交代采配で崩したくないという思い。そして延長戦を想定した上で、できるだけ使える手を先延ばしにしたいという思いがこれらの采配から見て取れた。
結局日本代表は追加時間まで無失点で凌ぎ切り、残す2枚の交代カードをそれぞれ90+2分、90+4分に切ることで時間を稼ぎ、タイムアップの瞬間を迎えるのである。

アジア大会における日本代表史上初の、そして関塚監督自身初の金メダルを手にすることになったこの決勝戦だが、彼我の戦力差の大きさが明らかな状況があり、そうしたなか守備的な采配を取らざるをえないという状況が関塚監督に追い風になっていたのは確実であろう。そして守備戦術をとる日本代表に永井という飛び道具が存在していたということも、金メダルの大きな要因だった。

ご存知のとおり今大会に臨んだU21日本代表は、所属クラブでの主力級が召集されておらず、またオーバーエイジも採用されていない。しかしこれからのアジア予選。そして五輪本戦に向け、招集に応じる選手は増えてくるはず。戦力が整備されていく中、つまり五角以上の戦いが可能となるこれからの戦いの中で、関塚監督がどこまで勝負に出られるのか。注目したいと思っている。
とはいえ、暗い話題の続いていた年代別代表の久しぶりの慶賀である。素直に喜びたいのと同時に、関塚監督と関塚監督を口説き落とした原博実技術委員長の仕事に敬意を表したいと思う。
明るい話題をありがとうございました。

74分の實藤友紀の決勝ゴール


UAEの決定機。2度クロスバーに当たってたまた振り返った安藤駿介の胸に飛び込むボール。
3分25秒ごろから。

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