十一面観音巡礼
図書館の新蔵書コーナーに置かれてあったものを何気なく借りてきたのだが、これがなかなか骨のある本で読むのに苦労した。作者の中では当たり前な存在なのであろう固有名詞をあっさりと表記し続けており、その固有名詞がなんなのか、理解するに至る前に上方の洪水の中でもがき続け無ければならないという状態に陥るのである。
まあそれはそれとして、十一面観音というものの存在をクローズアップするのが本書の目的である。そして十一面観音像が山に関わりを持つということ。水とも関係を持つこと。本地垂迹説では、天照大神の本地仏であるというようなことを、その土地ごとにあるお寺と民衆の信仰との中から描き出そうとしていた。
いずれにしても、なかなか歯ごたえのある書籍だった。
ちなみにこの本を手に取る前に宮大工と歩く奈良の古寺という新書を読んでいたのだが、この新書の作者である小川三夫さんが「木の香のように清々しい若者」としてこの書籍に登場している。新書の中でも言及していた法輪寺の三重塔を再建している際に、取材を受けたらしい。まあ、それはそれとして、知識がこうやって絡まりながら深みを持つというのはなかなか面白いものである。
最後になるが、書中、気になった記述があったのでそこを抜き出して引用しておこうと思う。
この部分がどうしても気になった。鉄筋コンクリートはまあ仕方ないとして、お供え物ができないということが腑に落ちない。これがどういう状況なのか本書を読んだだけでは分からないのだが、政教分離などとセットで捉えられているのだとすれば、残念極まりない通達だろうと思う。日本の文化はもっとどうにかして残していくべきだろうと切に思う。
ちなみに作者の白洲正子さんは、あの白洲次郎氏の奥さんだとのことだ。
図書館の新蔵書コーナーに置かれてあったものを何気なく借りてきたのだが、これがなかなか骨のある本で読むのに苦労した。作者の中では当たり前な存在なのであろう固有名詞をあっさりと表記し続けており、その固有名詞がなんなのか、理解するに至る前に上方の洪水の中でもがき続け無ければならないという状態に陥るのである。
まあそれはそれとして、十一面観音というものの存在をクローズアップするのが本書の目的である。そして十一面観音像が山に関わりを持つということ。水とも関係を持つこと。本地垂迹説では、天照大神の本地仏であるというようなことを、その土地ごとにあるお寺と民衆の信仰との中から描き出そうとしていた。
いずれにしても、なかなか歯ごたえのある書籍だった。
ちなみにこの本を手に取る前に宮大工と歩く奈良の古寺という新書を読んでいたのだが、この新書の作者である小川三夫さんが「木の香のように清々しい若者」としてこの書籍に登場している。新書の中でも言及していた法輪寺の三重塔を再建している際に、取材を受けたらしい。まあ、それはそれとして、知識がこうやって絡まりながら深みを持つというのはなかなか面白いものである。
最後になるが、書中、気になった記述があったのでそこを抜き出して引用しておこうと思う。
p241
国が補助する収蔵庫には、いくつかの制約があり、鉄筋コンクリートであることと、内部に一切お供えをしないことが、条件になっていると聞く。コンクリートの建築は、火災を防ぐに必要であるとしても、木彫の保存の為には、あまり理想的とはいえないようである。それ以上に、お供えの出来ないことが、村の人々には、大きな打撃であるらしい。
この部分がどうしても気になった。鉄筋コンクリートはまあ仕方ないとして、お供え物ができないということが腑に落ちない。これがどういう状況なのか本書を読んだだけでは分からないのだが、政教分離などとセットで捉えられているのだとすれば、残念極まりない通達だろうと思う。日本の文化はもっとどうにかして残していくべきだろうと切に思う。
ちなみに作者の白洲正子さんは、あの白洲次郎氏の奥さんだとのことだ。
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