決勝進出を目指した大分は、準決勝でそれまでのやり方を変えて臨む。相手に合わせたそのやり方は、結果として、自らの首を絞める結果となった。戦術的に難しい状況があるのであれば、試合中に自律的に選手たちが修正を加えればいいのだろうが、それを実現するほどには大分には力がなかった。実力的に劣勢に立つチームが取りうる戦術としての妥当性はあるが、そうした戦い方に対応された時に打つ手がなかった。それが、勝敗を分けるポイントだった。
策士策に溺れる、ということなのだろう。初の国立の舞台に立った大分は、それまでのやり方を変える。今大会、大分は4−3−3のフォーメーションをとってきた。しかし、この市立船橋戦は中盤を厚くしていたのである。
「前半は、今まで3トップだったのを1トップにしてトップ下を2人にして、ワイドに張らせていた3人の中盤をコンパクトにして、相手の10番の子と相手のボランチをまずそこでシャットアウトする」(朴英雄監督)事を狙った。
つまり自分たちの良さを出すことよりも相手の良さを消すことを優先させたのである。そしてそんな大分の異変を市船の朝岡隆蔵監督はすぐに察知する。
「大分さんが相手だということで、最大限の準備をしてきました。ただ、想定とは若干違う入りだった」と前半を評し、さらには「後半も想定外だったので、いつ来るのだろうというところもあったんですが、大分さんの運動量が連戦の中で落ちていた。迫力が半分以下、想像の半分位だった」と振り返る。
市船の凄さは、想定外だった試合展開に対し「選手たちが今までの経験値を生かしながら柔軟に対応」(朝岡監督)したことだった。
市船は大分に付き合って前半の20分くらいまでロングボールを多用する。しかしそれはベンチからの指示ではなく、選手たちが大分の出方を見極めるために必要な時間だったのだという。と同時に、朝岡監督はこれまでの大分との違いを感じ取り、相手の実力が守備的な方向で想定外だった事を確認した上で選手たちに指示を出す。前半20分過ぎにNo23:渡辺健斗をベンチに呼び「前半が勝負だと。この展開であれば点を取りに行かなければならない、想定外だったということなので」と、得点を奪いに行くのだと話したという。
守備的に戦術を変更した大分にとっての痛手は、アンカーのNo10:上野尊光が準々決勝での無理がたたり、この試合を欠場せざるを得なかった点にあった。その点についてNo9:梶谷充斗は「(上野の不在は)痛かったですね。中盤でボールをさばいてくれる人が一人おるだけでチームは変わるので、おってくれた方が良かったです」と残念がる。そして、中央に絞り、守備を意識したこの日のフォーメーションについて「今までやってきた戦術と違うのでやりにくい場面もありましたし、相手も上手かったです」と振り返った。
足首の重篤なケガのため、ベンチからの観戦となった上野も「(外から見ていて)やることを変えて、みんなの頭が混乱していたかもしれません。昨日から始めたので」とチームの異変を口にしていた。
こうした幾つかの状況を踏まえ、勝ち上がれた市船と、もう1点手が届かなかった大分との差を見出すとすれば、それは目の前の試合に対応する柔軟さにあったのだろうと思う。
システムを代えた大分は、それによって自分たちの良さを出しきれなかった。朴監督によるとそのやり方が難しいのであればもとに戻すという選択肢もあったという。「自信がなかったら変えるよ。やりやすいようにしてやるよ(とミーティングで選手たちに伝えた)」。しかし、選手たちにそうした朴監督の意思は十分に伝わっておらず、結果的に通常のシステムへの変更は後半20分ごろの朴監督の手を回すサインまで待たねばならなかった。
その一方で、試合の流れを読み、そしてベンチからの指示を仰ぎながら状況を判断しつつ、選手主体で試合を進められたという点で市船の適応力は高かった。後半81分にのNo17:清家俊にヘディングを決められ、1点差に追いつかれた直後から、市船の選手たちは露骨に時間稼ぎを始める。朝岡監督は「選手たちは自信を持っています。あそこのところでの保持、キープ、奪いとり」と、時間稼ぎについて評価。もちろん「高校生としてどうかという話もありますが」との言葉を挟むが、そうする判断を選手たちが下したという点について、肯定していた。
朴監督のベンチ前からの指示の声について、選手たちはその必要な部分のみを受け入れ、不要な部分を聞き流す柔軟さを持っていた。しかし、その一方で試合展開の重要なパートをベンチに依存しなければならないという点で、難しさもはらんでいた。準決勝の試合結果を見るにつけ、ピッチ上で選手たちが自律的に試合をコントロールすることの重要性はやはり高いのだと痛感させられた。
またこのレベルで勝つには、自分たちの戦術を押し通せるだけの局面での個の強さの必要性も感じた。それは例えば、市船の2得点の場面のような、ドリブルで仕掛け、ファールをもらい、そして得点をゴリ押しできる強さである。
市船を警戒させたあの高い攻撃力と前への圧力を大分は大事な舞台で発揮出来なかった。大事にやろうとして、よそ行きのサッカーをしてしまったのである。その点は、本当に悔やまれる。伝統校と、新興校との違いを見出すのだとすれば、それは大舞台でも自分たちの力を押し通せるのかどうか、という部分だったのであろう。
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1 コメント:
私も同感です。
1トップって知り、なぜ?って思いました。
欠場者や負傷者がいて難しい面もあったのでしょうが、大分には今まで通りのサッカーをして欲しかった。
残念です。
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