挙動不審のPowerShotS90ですが、ショップに持ち込んだところ即座に初期不良として認定してもらい交換と相成ったわけですが
交換時に係の方「土田さん」とか話してたけど、から
「新しいロットが入荷しているので、その中でも一番新しいものをお持ちしました」と言ってもらっていた。
そういう事を言われるとまあ、悪い気はしない。
初期ロッドで不具合を出し、その後のロッドでブラッシュアップしていく。
まあ、工業製品としては当たり前の進化の過程を踏むわけで
それ自体は悪い事ではない。
で、交換してもらった個体が、最新のロッドのさらに新しいものであるとの説明を受けると
それは真に受ければうれしいものである。
で、早速自宅で機種登録を敢行。そこで残念な事実が。
初期不良で交換してもらった個体のほうが、通し番号で3番ほど大きい番号だったのである。
いや、キヤノンのナンバリングが小さい番号から大きい番号へとは進まないのであればそれで良い。
しかし、もし仮にキヤノンのナンバリングが、小さい番号から大きい番号へと普通に進むのであれば
対応してくれた店員さんの言葉は嘘になる。
嘘なのかどうなのか、調べようと思えば調べられるし、調べようかなとも思うが、
そうしたところで何かが変わるわけではない。
ただ、交換時にそうやって嘘をつかれたのが残念なのである。
ウーム、残念だなぁ。
好きな機種なんだけど、そういう事をされると気持ちが遠ざかってしまうよね。
うそつきとは付き合えないのと同じ理屈でさ。
川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ
ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。
JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。
今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。
以前購入したIXY 920ISを紛失してしまい、代わりの機種をどうするかずっと頭を悩ませていた。
後継機の930ISはなにしろ残念な仕上がりで、安っぽいし、細長いし。
店員に話を聞いたが、どうやら携帯的な形状にする事で、とりあえず外に持ち出してもらいたかったという事らしい。
それにしても、920からの質感の落ちっぷりにはがっかりさせられた。
そんなわけで、コンデジ難民となっていたボクに、突如としてPowerShot S90という救世主が現れる。
明るいレンズだし、CCDもこの手の機種にすれば大型だし、その一方で画素数は控えめで高感度を実現している。
という事で、南アへの出発を前に購入に踏み切った。
清水の舞台から飛び降りる覚悟ではあったが、いざ買ってみると、やっぱり良かったと思わせる機種である。
と思っていたのだが、残念な事に不具合を抱えている事が発覚。
一部の動作が挙動不審なのである。
液晶保護フィルムまで貼って万全の態勢にしたのに、こんな事になろうとは。
とにかく、残念である。
http://www.youtube.com/watch?v=yK8DVCWMkvg
後継機の930ISはなにしろ残念な仕上がりで、安っぽいし、細長いし。
店員に話を聞いたが、どうやら携帯的な形状にする事で、とりあえず外に持ち出してもらいたかったという事らしい。
それにしても、920からの質感の落ちっぷりにはがっかりさせられた。
そんなわけで、コンデジ難民となっていたボクに、突如としてPowerShot S90という救世主が現れる。
明るいレンズだし、CCDもこの手の機種にすれば大型だし、その一方で画素数は控えめで高感度を実現している。
という事で、南アへの出発を前に購入に踏み切った。
清水の舞台から飛び降りる覚悟ではあったが、いざ買ってみると、やっぱり良かったと思わせる機種である。
と思っていたのだが、残念な事に不具合を抱えている事が発覚。
一部の動作が挙動不審なのである。
液晶保護フィルムまで貼って万全の態勢にしたのに、こんな事になろうとは。
とにかく、残念である。
http://www.youtube.com/watch?v=yK8DVCWMkvg
ルールとマナーというのは一見すると似ているのだが、実は違うものである。それぞれを日本語に置き換えると、ルールは規則であり、マナーは常識だったり良識だったりということになる。
規則は、何らかの枠組みをある自由な状態の中に適用することで、人間の行動範囲を制限するもの。
常識だったり良識だったりというのは、人間社会の中で、それぞれの社会が作り上げていく、明文化されることのないごく緩やかな規則である。
で、先日問題が起きた。神奈川県の神田高校の入試時の問題である。
ここの校長先生が、入試時の服装を見て問題がありそうな生徒の入学を前校長が持つ「常識や良識」の範囲で制限した。
なぜかその事実が表面化。
校長は「規則」にない選抜基準で合格圏内の生徒を落としたとして、批判され、校長職を解かれ、更迭された。
そこで問題。この問題は何が問題なのかと。
あるブログで県教委の対応がおかしいと書いたところ通りすがりの、いわゆる「規則原理主義者」さんからクレームの書き込みが。
原理主義者さんは、「入試の基準として明記されていない」ことを理由に、身なりを理由にした不合格の決定はおかしいと。
それに対し、義務教育ではない高校の入学生を選ぶ基準は高校側に一任されているはずだとブログの著者。
最初のやりとりだけ読んで、最後まで追いかけなかったので、ブログの著者さんと原理主義者さんとの結末がどうなったかはわからないんですが一般的にこの問題、どちらの見方も正しいという事になると思っている。
つまり前校長の対応を批判する人は、入試の点数以外の基準が持ち込まれ、それが許された場合、今後全国に校長や教職員の裁量による入学基準の変動が許されかねず、公正な入試の担保に支障を来す可能性が出てくる、という懸念を持っているわけである。
もちろん、前校長の信念に基づく判断は全く間違っていないという立場の人も出てくる。
ただ、前校長の信念を指示する人の立場は弱い。
なぜならば、前校長の「信念」という数値化できないもの、それは良識という言葉で表現できるものなのだが、それが前校長支持派の根拠になるからである。
前述したが、前校長を支持ずる場合、前校長がどれだけ公正な信念を貫き続けたとしても、その信念が今後、入試の点数以外の入学基準が明文化されない形で全国に広がった場合前校長が彼の思考の中で作り上げてきた「公正な信念に基づく入試基準」までは広げられないのである。なぜならば前校長の信念を数値化し、基準として全国に広めることができないからである。
つまり規則原理主義者は、誰がみても一目瞭然の、全国一律の基準があるべきだと主張しているわけである。そしてそれは選択側=体制側=権力者に対する性悪説に基づいていると考えると理解しやすい。権力者を(は)放置するとろくな事をしないぞ、とそう考えている訳だ。
対する前校長支持派は、体制側に対する性善説に基づいているのである。良識を持つ権力者には、一定の裁量権を認めていいと。
主に戦後の教育は、権力の暴走という虚構(なぜ虚構なのかは後日、書くかな?)を非常に過大に評価しているわけだけど、それが今回の入試問題を大きくした理由の一つなのかなと思っている。
この問題を収め所があるとすれば、それは選択側=体制側=権力側の権力を、ルールという名の規則で縛ればいいのである。そしてそれは入試の選択基準の中に、服装の規程を一文入れるだけで済む。要するに権力が暴走する可能性を事前に防げばいいわけだ。
前校長が選択する側にいる限り、そしてその前校長の信念を知る限り暴走はあり得ないと思うのだが、その信念が拡散したときに、服装の条件を規程化しておけば、権力側の暴走はある程度は防げるものと期待される、と原理主義者側は考えているのである。
権力を「悪」と見なす視点も、ある程度の範囲では必要だと思う。ただ、何もかも権力を悪として見下す考え方には同調できない。これだけ教育問題に真摯に取り組み、実際に一つの高校を更正させてきた前校長を解任、更迭した人間は、前校長の良識を信じられなかった訳で、もちろんそれは前校長の良識を数値化できないからなのだが、だったらしかるべき立場の人が言葉で前校長を守ってほしかった。前校長も自らの言葉でその信念を全国の教育者や子を持つ親、国民に示してほしかった。
「セント・オブ・ウーマン」という映画があるが、この映画のクライマックスの場面で、言葉の力をまざまざと見せつけられるシーンがある。鳥肌ものである。
小泉純一郎氏がすごかったのは、言葉に力があったからだろうと思っている。彼を悪魔化しようと様々な工作がなされたが、彼の言葉の力とそれによって伝えられた信念は、自民党を歴史的な勝利へと導いた。彼の全ての政策に賛同するわけではないが、彼のやってのけたあの大勝という偉業は歴史に残るものだろうと思う。
日本人は言い訳を好まない民族である。
政治家が批判に対し対抗すると「大人げない」とかという反応が返ってくる。
子供が自分を正当化しようとすると「理屈っぽい」という反応を示してしまう。
人間がここまでの進化を遂げてきた理由の一つは、人類が言語能力を手に入れたからである。言葉は自らの意志を伝え、相手の意見を聞き入れるための、そして経験を後世に伝えるための非常に重要なツールである。ところが驚くほどに、日本民族は言葉をないがしろにしている。
あうんの呼吸という伝統が息づくこの国には言葉は、日常生活に添えられる程度のものなのかもしれない。ただ、本音と建て前を使い分けられる二重人格民族である日本民族ほど多面性を使いこなせる民族はいないとも思っている。
自分がわからないことがあれば何度でも聞けばいい。だけどそれで空気がおかしくなれば、その場の空気を読めばいい。
正義とはかけ離れた批判を受ければ、言い返せばいい。それが言い訳と取られても、そうすべきだ。そこに信念があれば必ず受け止めてもらえるはずである。
長くなったが、日本人は責任を取りたがらないから、規則という名の保証がほしい民族であると思っている。だからこの前校長の悲劇を繰り返さないためにもぜひ、規則を作ってほしいと思う。留保事項として入れておけばいいだけの話である。入試にまともな格好をしていけない人間が、社会性を要求される学校という場で、個性として正当化されてきたのであろう行き過ぎた個人主義を変えられるわけなど無いのである。
ということで長くなったが、前校長が解任された神田高校野球部のノンフィクションがよかったです。たぶんそのうち消されますので視聴はお早めに。(#注 youtubeでは削除済みのためリンクを外しています)
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 1/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねぇ~神田高校に起こった奇跡 2/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 3/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 4/6
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ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 6/6
規則は、何らかの枠組みをある自由な状態の中に適用することで、人間の行動範囲を制限するもの。
常識だったり良識だったりというのは、人間社会の中で、それぞれの社会が作り上げていく、明文化されることのないごく緩やかな規則である。
で、先日問題が起きた。神奈川県の神田高校の入試時の問題である。
ここの校長先生が、入試時の服装を見て問題がありそうな生徒の入学を前校長が持つ「常識や良識」の範囲で制限した。
なぜかその事実が表面化。
校長は「規則」にない選抜基準で合格圏内の生徒を落としたとして、批判され、校長職を解かれ、更迭された。
そこで問題。この問題は何が問題なのかと。
あるブログで県教委の対応がおかしいと書いたところ通りすがりの、いわゆる「規則原理主義者」さんからクレームの書き込みが。
原理主義者さんは、「入試の基準として明記されていない」ことを理由に、身なりを理由にした不合格の決定はおかしいと。
それに対し、義務教育ではない高校の入学生を選ぶ基準は高校側に一任されているはずだとブログの著者。
最初のやりとりだけ読んで、最後まで追いかけなかったので、ブログの著者さんと原理主義者さんとの結末がどうなったかはわからないんですが一般的にこの問題、どちらの見方も正しいという事になると思っている。
つまり前校長の対応を批判する人は、入試の点数以外の基準が持ち込まれ、それが許された場合、今後全国に校長や教職員の裁量による入学基準の変動が許されかねず、公正な入試の担保に支障を来す可能性が出てくる、という懸念を持っているわけである。
もちろん、前校長の信念に基づく判断は全く間違っていないという立場の人も出てくる。
ただ、前校長の信念を指示する人の立場は弱い。
なぜならば、前校長の「信念」という数値化できないもの、それは良識という言葉で表現できるものなのだが、それが前校長支持派の根拠になるからである。
前述したが、前校長を支持ずる場合、前校長がどれだけ公正な信念を貫き続けたとしても、その信念が今後、入試の点数以外の入学基準が明文化されない形で全国に広がった場合前校長が彼の思考の中で作り上げてきた「公正な信念に基づく入試基準」までは広げられないのである。なぜならば前校長の信念を数値化し、基準として全国に広めることができないからである。
つまり規則原理主義者は、誰がみても一目瞭然の、全国一律の基準があるべきだと主張しているわけである。そしてそれは選択側=体制側=権力者に対する性悪説に基づいていると考えると理解しやすい。権力者を(は)放置するとろくな事をしないぞ、とそう考えている訳だ。
対する前校長支持派は、体制側に対する性善説に基づいているのである。良識を持つ権力者には、一定の裁量権を認めていいと。
主に戦後の教育は、権力の暴走という虚構(なぜ虚構なのかは後日、書くかな?)を非常に過大に評価しているわけだけど、それが今回の入試問題を大きくした理由の一つなのかなと思っている。
この問題を収め所があるとすれば、それは選択側=体制側=権力側の権力を、ルールという名の規則で縛ればいいのである。そしてそれは入試の選択基準の中に、服装の規程を一文入れるだけで済む。要するに権力が暴走する可能性を事前に防げばいいわけだ。
前校長が選択する側にいる限り、そしてその前校長の信念を知る限り暴走はあり得ないと思うのだが、その信念が拡散したときに、服装の条件を規程化しておけば、権力側の暴走はある程度は防げるものと期待される、と原理主義者側は考えているのである。
権力を「悪」と見なす視点も、ある程度の範囲では必要だと思う。ただ、何もかも権力を悪として見下す考え方には同調できない。これだけ教育問題に真摯に取り組み、実際に一つの高校を更正させてきた前校長を解任、更迭した人間は、前校長の良識を信じられなかった訳で、もちろんそれは前校長の良識を数値化できないからなのだが、だったらしかるべき立場の人が言葉で前校長を守ってほしかった。前校長も自らの言葉でその信念を全国の教育者や子を持つ親、国民に示してほしかった。
「セント・オブ・ウーマン」という映画があるが、この映画のクライマックスの場面で、言葉の力をまざまざと見せつけられるシーンがある。鳥肌ものである。
小泉純一郎氏がすごかったのは、言葉に力があったからだろうと思っている。彼を悪魔化しようと様々な工作がなされたが、彼の言葉の力とそれによって伝えられた信念は、自民党を歴史的な勝利へと導いた。彼の全ての政策に賛同するわけではないが、彼のやってのけたあの大勝という偉業は歴史に残るものだろうと思う。
日本人は言い訳を好まない民族である。
政治家が批判に対し対抗すると「大人げない」とかという反応が返ってくる。
子供が自分を正当化しようとすると「理屈っぽい」という反応を示してしまう。
人間がここまでの進化を遂げてきた理由の一つは、人類が言語能力を手に入れたからである。言葉は自らの意志を伝え、相手の意見を聞き入れるための、そして経験を後世に伝えるための非常に重要なツールである。ところが驚くほどに、日本民族は言葉をないがしろにしている。
あうんの呼吸という伝統が息づくこの国には言葉は、日常生活に添えられる程度のものなのかもしれない。ただ、本音と建て前を使い分けられる二重人格民族である日本民族ほど多面性を使いこなせる民族はいないとも思っている。
自分がわからないことがあれば何度でも聞けばいい。だけどそれで空気がおかしくなれば、その場の空気を読めばいい。
正義とはかけ離れた批判を受ければ、言い返せばいい。それが言い訳と取られても、そうすべきだ。そこに信念があれば必ず受け止めてもらえるはずである。
長くなったが、日本人は責任を取りたがらないから、規則という名の保証がほしい民族であると思っている。だからこの前校長の悲劇を繰り返さないためにもぜひ、規則を作ってほしいと思う。留保事項として入れておけばいいだけの話である。入試にまともな格好をしていけない人間が、社会性を要求される学校という場で、個性として正当化されてきたのであろう行き過ぎた個人主義を変えられるわけなど無いのである。
ということで長くなったが、前校長が解任された神田高校野球部のノンフィクションがよかったです。たぶんそのうち消されますので視聴はお早めに。(#注 youtubeでは削除済みのためリンクを外しています)
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 1/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねぇ~神田高校に起こった奇跡 2/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 3/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 4/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 5/6
ザ・ノンフィクション 負けんじゃねえ~神田高校に起こった奇跡 6/6
08年のJ1リーグのサプライズとなった大分が、最後にJ2で戦っていた02年の事。C大阪との首位争いを巡る戦いの中、昇格を大きくたぐり寄せる大一番があった。10月13日に鳥栖スタジアムで行われた鳥栖戦である。
この試合、大分は前半に先制するのだが、後半開始直後に同点ゴールを奪われて歯車が狂いはじめる。当時の鳥栖は40節を終了した時点で獲得した勝ち点が33にとどまっており、順位も10位と低迷。そうした背景を考えれば大分にとっては引き分けすら許されない、という雰囲気の試合だった。勝たなければならない相手に同点に追いつかれた大分は、後半80分に凍り付く。森田にこの日2点目となる逆転ゴールを叩き込まれたのである。
試合時間は残り10分+ロスタイム。だれもが最悪の結末を覚悟した終盤だったが、ここから大分がドラマを起こした。まずは終了間際の87分。サンドロが同点ゴールを奪う。負けムードを一掃する値千金のゴールに沸き返る大分はその勢いのまま鳥栖を攻め立てると、わずか1分後に西山哲平が逆転ゴールを叩き込んだのである。大分の歴史上指折り数えられる劇的なミドルシュートだった。
お祭り騒ぎの大分を尻目に、主催者となる鳥栖は敗戦に沈む。そしてそんな状況でも、スタジアムDJには、試合終了後の仕事が続く。当時その場にいた筆者は、J1へと近づく勝利に心躍る思いのまま、試合終了後の場内アナウンスを聞いて心動かされることとなったのである。
彼は率直に「大分のみなさん、おめでとうございます。このままJ1へ行っちゃってください」と述べると「J1で待っていてください」と続けたのである。
実はこの発言。ぼくが過去に聞いてきた場内アナウンスの中でも最高に好きなものなのである。祝意の中に「お前ら上がったら落ちてくるなよ」という激励と「鳥栖も絶対にJ1に行くから」という自らに対する強い気持ちが込められていたのである。負けた側から発せられたこれほど男前な場内アナウンスはなかなか経験できるものではない。また、この優しさと思いやりと、決意に満ちた言葉は個人的な涙腺スイッチになっていて、今でもこの話を人に説明するだけで泣けてくるのである。そして、そんな感動的な言葉を口にしてきた鳥栖スタジアム(現ベアスタ)のスタジアムDJさんに先日ようやくお会いすることができた。聞けば鳥栖スタジアムができてからずっと変わらず場内アナウンスを担当してこられているとのことで、まさに鳥栖と共に歩んでこられた方だった。でっかくてなんか黒くて、だけど穏和な口調があの日のあの言葉とすんなりシンクロした。
6年来の宿願だった上記場内アナウンスに対する謝意と賞賛と、挨拶を果たせた横浜FC戦の試合後、久しぶりに鳥栖の元広報氏と再会できた。彼は会うなり「普通勝ってもそんなに感動したりはしないんですが、この試合は来ましたね」と話を始めた。
実は昨年から鳥栖の複数の選手は久留米大医学部の小児病棟を慰問で訪れているのだという。この病棟に入院している子供たちは重篤な状態だとのことで、スタジアムに招待したくても、それが原因で体力を使い、病状が悪化する可能性もあるのだという。そういう訳で、なかなかスタジアムへと招待することができていなかったのだという。ただ、去年慰問した際に選手と交流した子供さんの一人は無事に退院し、応援に駆けつけた事もあるという。
今年は9月12日に慰問したとのことだが、その時に選手と共に交流した子供さんがこの横浜FC戦の応援にスタジアムを訪れていたという。ホームの鳥栖は前半の28分に先制点を奪われてしまうが、その7分後に追いつくと、後半開始早々の47分に勝ち越しに成功。しかし詰めが甘く終盤の78分に2-2の同点に追いつかれていた。
鳥栖の歴史上最多の観客を集めて行われた熊本との36節の九州ダービーを落としていた鳥栖は、地元紙に「終戦」と書かれ土壇場まで追いつめられていた。J1昇格を念頭に置くと、もうこれ以上勝ち点を落とせない状況の試合を救ったのは、86分に決まった高橋義希のゴールだった。
そもそも鳥栖の小児病棟への慰問は、高橋がチーム側に相談したことでスタートしており、まさに高橋は発起人。そしてそんな高橋の放ったシュートは、ポストを直撃しゴールの中へ。いろいろな背景を知っている元広報氏は、魂が乗り移ったかのようなゴールを見て珍しく泣いたのだという。
試合後にヒーローインタビューを受ける高橋。その後、視線をスタンドへと移し、スタジアムを訪れていた子供たちを目で追いかけていたという。
この慰問は選手側の要望でマスコミを排除して行われてきているとの事。パフォーマンス的な目で見られると本来の目的からそれるのでは、という思いがあったのだという。そういうマジメで不器用なところがまた鳥栖らしい。
鳥栖を下した相手チームにエールを送るスタジアムDJが、いつまでもその職を失わないのも、損得勘定を100%抜きにして100%自分たちの厚意だけで慰問をする選手や監督がいるという現実を見ても、それが鳥栖というチームのチームカラーであり、これからも失ってほしくはない木訥さなんだろうと思った。
ちなみにこの横浜FC戦で逆転勝ちしたことで鳥栖は勝ち点を58へと伸ばし、勝ち点59で並ぶ2位湘南3位山形に対し1差にまで接近。「終戦」と評されたどん底状態から這い上がりつつある。気になるのは、消化試合数が1試合多いところだが、慰問に訪れた岸野監督は「オレらの悩みって、ちっぽけやな」とつぶやいており、逆に子供たちからパワーをもらっているようである。昨季は慰問後の最終戦までの戦績が7戦5勝1敗1分けと勝ち星を積み重ねており、慰問前の7試合の1勝4敗2分けと比較しても大きく勝率を上げている。
小児病棟を慰問した高橋、岸野監督を始めとした選手たちは、幼くして病魔と闘う子供たちを励まし、そして励まされている。混迷の度合いを極める終盤のJ2の中で、鳥栖はどのような戦績を積み重ねていくのだろうか。
この試合、大分は前半に先制するのだが、後半開始直後に同点ゴールを奪われて歯車が狂いはじめる。当時の鳥栖は40節を終了した時点で獲得した勝ち点が33にとどまっており、順位も10位と低迷。そうした背景を考えれば大分にとっては引き分けすら許されない、という雰囲気の試合だった。勝たなければならない相手に同点に追いつかれた大分は、後半80分に凍り付く。森田にこの日2点目となる逆転ゴールを叩き込まれたのである。
試合時間は残り10分+ロスタイム。だれもが最悪の結末を覚悟した終盤だったが、ここから大分がドラマを起こした。まずは終了間際の87分。サンドロが同点ゴールを奪う。負けムードを一掃する値千金のゴールに沸き返る大分はその勢いのまま鳥栖を攻め立てると、わずか1分後に西山哲平が逆転ゴールを叩き込んだのである。大分の歴史上指折り数えられる劇的なミドルシュートだった。
お祭り騒ぎの大分を尻目に、主催者となる鳥栖は敗戦に沈む。そしてそんな状況でも、スタジアムDJには、試合終了後の仕事が続く。当時その場にいた筆者は、J1へと近づく勝利に心躍る思いのまま、試合終了後の場内アナウンスを聞いて心動かされることとなったのである。
彼は率直に「大分のみなさん、おめでとうございます。このままJ1へ行っちゃってください」と述べると「J1で待っていてください」と続けたのである。
実はこの発言。ぼくが過去に聞いてきた場内アナウンスの中でも最高に好きなものなのである。祝意の中に「お前ら上がったら落ちてくるなよ」という激励と「鳥栖も絶対にJ1に行くから」という自らに対する強い気持ちが込められていたのである。負けた側から発せられたこれほど男前な場内アナウンスはなかなか経験できるものではない。また、この優しさと思いやりと、決意に満ちた言葉は個人的な涙腺スイッチになっていて、今でもこの話を人に説明するだけで泣けてくるのである。そして、そんな感動的な言葉を口にしてきた鳥栖スタジアム(現ベアスタ)のスタジアムDJさんに先日ようやくお会いすることができた。聞けば鳥栖スタジアムができてからずっと変わらず場内アナウンスを担当してこられているとのことで、まさに鳥栖と共に歩んでこられた方だった。でっかくてなんか黒くて、だけど穏和な口調があの日のあの言葉とすんなりシンクロした。
6年来の宿願だった上記場内アナウンスに対する謝意と賞賛と、挨拶を果たせた横浜FC戦の試合後、久しぶりに鳥栖の元広報氏と再会できた。彼は会うなり「普通勝ってもそんなに感動したりはしないんですが、この試合は来ましたね」と話を始めた。
実は昨年から鳥栖の複数の選手は久留米大医学部の小児病棟を慰問で訪れているのだという。この病棟に入院している子供たちは重篤な状態だとのことで、スタジアムに招待したくても、それが原因で体力を使い、病状が悪化する可能性もあるのだという。そういう訳で、なかなかスタジアムへと招待することができていなかったのだという。ただ、去年慰問した際に選手と交流した子供さんの一人は無事に退院し、応援に駆けつけた事もあるという。
今年は9月12日に慰問したとのことだが、その時に選手と共に交流した子供さんがこの横浜FC戦の応援にスタジアムを訪れていたという。ホームの鳥栖は前半の28分に先制点を奪われてしまうが、その7分後に追いつくと、後半開始早々の47分に勝ち越しに成功。しかし詰めが甘く終盤の78分に2-2の同点に追いつかれていた。
鳥栖の歴史上最多の観客を集めて行われた熊本との36節の九州ダービーを落としていた鳥栖は、地元紙に「終戦」と書かれ土壇場まで追いつめられていた。J1昇格を念頭に置くと、もうこれ以上勝ち点を落とせない状況の試合を救ったのは、86分に決まった高橋義希のゴールだった。
そもそも鳥栖の小児病棟への慰問は、高橋がチーム側に相談したことでスタートしており、まさに高橋は発起人。そしてそんな高橋の放ったシュートは、ポストを直撃しゴールの中へ。いろいろな背景を知っている元広報氏は、魂が乗り移ったかのようなゴールを見て珍しく泣いたのだという。
試合後にヒーローインタビューを受ける高橋。その後、視線をスタンドへと移し、スタジアムを訪れていた子供たちを目で追いかけていたという。
この慰問は選手側の要望でマスコミを排除して行われてきているとの事。パフォーマンス的な目で見られると本来の目的からそれるのでは、という思いがあったのだという。そういうマジメで不器用なところがまた鳥栖らしい。
鳥栖を下した相手チームにエールを送るスタジアムDJが、いつまでもその職を失わないのも、損得勘定を100%抜きにして100%自分たちの厚意だけで慰問をする選手や監督がいるという現実を見ても、それが鳥栖というチームのチームカラーであり、これからも失ってほしくはない木訥さなんだろうと思った。
ちなみにこの横浜FC戦で逆転勝ちしたことで鳥栖は勝ち点を58へと伸ばし、勝ち点59で並ぶ2位湘南3位山形に対し1差にまで接近。「終戦」と評されたどん底状態から這い上がりつつある。気になるのは、消化試合数が1試合多いところだが、慰問に訪れた岸野監督は「オレらの悩みって、ちっぽけやな」とつぶやいており、逆に子供たちからパワーをもらっているようである。昨季は慰問後の最終戦までの戦績が7戦5勝1敗1分けと勝ち星を積み重ねており、慰問前の7試合の1勝4敗2分けと比較しても大きく勝率を上げている。
小児病棟を慰問した高橋、岸野監督を始めとした選手たちは、幼くして病魔と闘う子供たちを励まし、そして励まされている。混迷の度合いを極める終盤のJ2の中で、鳥栖はどのような戦績を積み重ねていくのだろうか。
最近、プロサッカー監督という職業人の孤独を感じることが多い。近くは川崎Fの高畠監督。そして、今取材を続けてきているW杯予選を通しても、それを感じている。
たとえば、国のためにと宣言してオマーン代表監督に就任したアザーニ監督。彼はその仕事如何では国民からのすさまじいバッシングを受ける可能性があった。それでも、バカンスを切り上げて、国の一大事を救うべく立ち上がった。それだけの覚悟を持つ人がどれだけ日本国に残っているのだろうか。
日本代表の岡田監督からも孤独が漂ってきているように感じるが、それが岡田監督に特有ではないという意味において、もしかしたらプロサッカー監督の宿痾なのかもしれない。
今回、日本代表の取材をするにあたり、岡田監督に対する見方を中立的に持っていった。そこから合宿を見る中で、岡田監督への考えはずいぶんと変わった。岡田監督が何を実現したいと考えているのか。そしてそれをどう実践してきているのかが見えてきた。これは継続して見てこなければ分からなかった事だが、継続して合宿を見られた人が、それを上手く伝えきれていないような気がする。
岡田監督は理想とする到達点を想定し、そこにたどり着くためにどういうステップを踏むべきかを入念に追いかけており、それを練習に落とし込んでいる。指導者としてしっかりとした練習を行えていると思う。
そしてそうした彼の真意が報道陣に伝わっていないという点で、ある種の悲劇が起きているのだろうと思う。
日本人は、同胞である日本人を一段低く見がちである。権威を否定してきた戦後教育の弊害なのだが、そうした社会的風潮で審判問題も説明できると思っている。論文を書いたら普通に学位がもらえるくらいのテーマだろうと思う。ここでは書かない、書けないけど。
非礼な仕打ちを受けたオマーン戦の前日会見に臨む岡田監督は、毅然としていた。そして、寂しげに見えた。与えられた場所。取り囲む報道陣の疑心暗鬼。同胞が同胞のために戦っている。もう少し、どうにかならないものかと思ってしまった。
そんなオマーンからタイへ。イスラム教の教義が広く浸透している社会から、混沌が渦巻く新興国へ。このギャップは何なのだろうか。
監督業と、タイの資本主義がなぜだか頭の中でシンクロしてしまった。海外での生活は、内省を深めるいい機会でもある。
たとえば、国のためにと宣言してオマーン代表監督に就任したアザーニ監督。彼はその仕事如何では国民からのすさまじいバッシングを受ける可能性があった。それでも、バカンスを切り上げて、国の一大事を救うべく立ち上がった。それだけの覚悟を持つ人がどれだけ日本国に残っているのだろうか。
日本代表の岡田監督からも孤独が漂ってきているように感じるが、それが岡田監督に特有ではないという意味において、もしかしたらプロサッカー監督の宿痾なのかもしれない。
今回、日本代表の取材をするにあたり、岡田監督に対する見方を中立的に持っていった。そこから合宿を見る中で、岡田監督への考えはずいぶんと変わった。岡田監督が何を実現したいと考えているのか。そしてそれをどう実践してきているのかが見えてきた。これは継続して見てこなければ分からなかった事だが、継続して合宿を見られた人が、それを上手く伝えきれていないような気がする。岡田監督は理想とする到達点を想定し、そこにたどり着くためにどういうステップを踏むべきかを入念に追いかけており、それを練習に落とし込んでいる。指導者としてしっかりとした練習を行えていると思う。
そしてそうした彼の真意が報道陣に伝わっていないという点で、ある種の悲劇が起きているのだろうと思う。
日本人は、同胞である日本人を一段低く見がちである。権威を否定してきた戦後教育の弊害なのだが、そうした社会的風潮で審判問題も説明できると思っている。論文を書いたら普通に学位がもらえるくらいのテーマだろうと思う。ここでは書かない、書けないけど。
非礼な仕打ちを受けたオマーン戦の前日会見に臨む岡田監督は、毅然としていた。そして、寂しげに見えた。与えられた場所。取り囲む報道陣の疑心暗鬼。同胞が同胞のために戦っている。もう少し、どうにかならないものかと思ってしまった。
そんなオマーンからタイへ。イスラム教の教義が広く浸透している社会から、混沌が渦巻く新興国へ。このギャップは何なのだろうか。
監督業と、タイの資本主義がなぜだか頭の中でシンクロしてしまった。海外での生活は、内省を深めるいい機会でもある。
日本にはアジアを獲った浦和レッズというモンスタークラブがある一方で
水戸ホーリーホックというローカルなクラブもある。
そのローカルなクラブが、J1復帰を目指すビッグクラブに勝利した。
もっときれいに決められる場面はいくらでもあったのに
泥臭いシュートはGKに当たってバウンドしながらゴールの中へ転がり込んだ。
あまりに泥臭すぎて、水戸っぽいななぁと根拠もなく思ってしまった。
ゴールを決めた直後。ほぼ全員の選手が前田秀樹監督の下へ。
隣で見ていた地元記者は、めがねをずらし、あふれる涙をぬぐっていた。
サポーターに圧倒的に支持されている前田監督は
サポーターや選手の願いも届かず、今季限りの退任が噂されている。
水戸を襲う一連の騒動はどのような結末を見るのだろうか。
水戸を愛す人たちのベクトルは、どのように交わっていくのだろうか。
勝利の影にある敗戦は、一つのチームにシーズンの終わりをもたらした。
圧倒的優位な状況で試合を進めながら
最後まで得点を奪えず、そして1点に泣いたセレッソ大阪。
積み上げた勝ち点が、無に帰した試合後
TVカメラの前に立ったデカモリシは悔し涙を浮かべていた。
J2について尋ねると「今は頭が真っ白で何も考えられません」と答えていた。
その答えを整理して口にできる時が来たら、たぶん一回り大きくなれるのだろうと思う。
その一方、マッチアップした倉本崇史に完全に抑え込まれた香川真司は
デカモリシとは対照的に、冷静に試合とシーズンを振り返った。
「代表でもいい経験をさせてもいましたし、昇格争いでもいい経験ができました。
もう一度J2で練習して、やっていきたいと思います。
J2で出続けたのは良かった。J1に行けなかったのは仕方ないです。
来年につなげられればと思います」
日本を代表するこの2人の若い代表選手は
このどうしようもない悔しさを次のサッカー人生にどう生かすのか。
ポテンシャルと結果を直結させることの難しさを痛感した戦いの経験をどう生かしていくのか。
「いい経験でした」と笑顔で振り返られるよう
がんばってもらいたいと思う。
水戸ホーリーホックというローカルなクラブもある。
そのローカルなクラブが、J1復帰を目指すビッグクラブに勝利した。
もっときれいに決められる場面はいくらでもあったのに
泥臭いシュートはGKに当たってバウンドしながらゴールの中へ転がり込んだ。
あまりに泥臭すぎて、水戸っぽいななぁと根拠もなく思ってしまった。
ゴールを決めた直後。ほぼ全員の選手が前田秀樹監督の下へ。
隣で見ていた地元記者は、めがねをずらし、あふれる涙をぬぐっていた。
サポーターに圧倒的に支持されている前田監督は
サポーターや選手の願いも届かず、今季限りの退任が噂されている。
水戸を襲う一連の騒動はどのような結末を見るのだろうか。
水戸を愛す人たちのベクトルは、どのように交わっていくのだろうか。
勝利の影にある敗戦は、一つのチームにシーズンの終わりをもたらした。
圧倒的優位な状況で試合を進めながら
最後まで得点を奪えず、そして1点に泣いたセレッソ大阪。
積み上げた勝ち点が、無に帰した試合後
TVカメラの前に立ったデカモリシは悔し涙を浮かべていた。
J2について尋ねると「今は頭が真っ白で何も考えられません」と答えていた。
その答えを整理して口にできる時が来たら、たぶん一回り大きくなれるのだろうと思う。
その一方、マッチアップした倉本崇史に完全に抑え込まれた香川真司は
デカモリシとは対照的に、冷静に試合とシーズンを振り返った。
「代表でもいい経験をさせてもいましたし、昇格争いでもいい経験ができました。
もう一度J2で練習して、やっていきたいと思います。
J2で出続けたのは良かった。J1に行けなかったのは仕方ないです。
来年につなげられればと思います」
日本を代表するこの2人の若い代表選手は
このどうしようもない悔しさを次のサッカー人生にどう生かすのか。
ポテンシャルと結果を直結させることの難しさを痛感した戦いの経験をどう生かしていくのか。
「いい経験でした」と笑顔で振り返られるよう
がんばってもらいたいと思う。
最近よくされる質問に答えたいと思います。
Q:1 なんでもっと更新しないんですか?
A:1 べつに
Q:2 最近忙しいんですか?
A:2 べつに
Q:3 サッカー界。いろいろありますね
A:3 べつに
Q:4 ミャンマー情勢はどうなりますか?
A:4 べつに
Q:5 サブプライムローン問題でかなり損失を被ったようですね
A:5 べつに
Q:6 ところで川崎Fの最強チーム問題なんですが、まあ収束しているんですけどね。そもそもああいう条項があることがどうなのかと。川崎Fサポーターはユニフォームを着てプレーする選手がベストメンバーだと的確な発言をしてます。まあ、川崎Fの社長さんに対して犬飼さんが詰問した時にサポーターをだしに使ったのを受けた発言なんですけどね。ちなみに犬飼さんと川崎Fの武田社長とは大学のサッカー部の先輩後輩の間柄で、そういう事もあって詰問、みたいになったという背景があるんですね。Jリーグ側とすればベストメンバー条項はこれからも存続させていくと明言したようですが、今このタイミングで明言するんじゃなく、まずは議論させてみる、というやり方もあったと思っています。
日本人の悪いところでもありいいところなんですが、一度決まったことを変えたくない、という本能みたいなものがJリーグに関しては悪い方向に出ているような気がします
A:6 べつに
Q:7 お風呂は男女
A:7 べつで
Q:8 更衣室は男女
A:8 べつで
Q:9 トイレも男女
A:9 べつで
Q:10 お支払いはご一緒で?
A:10 べつで
Q:11 イランのバスは男女
A:11 べつに
Q:12 ああ、あれでしょ。千葉にあるのに東京って言ってるネズミの国
A:12 べつに~
Q:13 あれか、よく流出させてるソフト
A:13 べつに~
Q:14 それって「に~」しかあってないですよね
A:14 べつに
Q:15 謝罪って足組んでするものなんですかね?
A:15 べつに
Q:16 ごく一般的な国民感情として、足組んで謝罪されても、さすがにポーズとしか思えないんですが
A:16 べつに
Q:17 というか、アレはキレキャラをまずは演じて、それでファンへの言葉で泣こうと思ったんだけど思いの外泣けなくて、10分くらい時間をかけてようやく泣けたんですよね
A:17 べつに
Q:18 まあでも今回の件で名前も覚えてもらえたし、映画の宣伝にもなったし、良かったですね
A:18 べつに
Q:19 でも、ぼくがCMの担当者ならもう二度と自社製品の宣伝には使わないですけどね
A:19 べつに
Q:20 「諸悪の根源」って意外と重たそうに思えますが、実は薄っぺらいし使う場所も間違っているようにも思うんですが、この言葉を使ったことについて何か見解があれば教えて頂けないでしょうか?
A:20 特に無いです
Q:21 もうネタがなくなってきました
A:21 べつに
Q:22 じゃあ止めていいですか?
A:22 べつに
Q:23 じゃあ止めますよ?
A:23 べつに
Q:24 いいんですね?
A:24 べつに
Q:25 じゃあもう一問だけ。あれって誰か、まねをしようと思った人物とかキャラとかがあったんですよね。去年突然引退したあの人とか、お笑いのあの人とか。でもなぁ、ちょっとやりすぎたんじゃないかと思うんですよね。まあ、今となっては別にいいんですが
A:25 べつに
「お忙しいところ、25言もありがとうございました」
「べつに」
( ・д・) 「沢尻か!」
⊂彡☆))Д´)
Q:1 なんでもっと更新しないんですか?
A:1 べつに
Q:2 最近忙しいんですか?
A:2 べつに
Q:3 サッカー界。いろいろありますね
A:3 べつに
Q:4 ミャンマー情勢はどうなりますか?
A:4 べつに
Q:5 サブプライムローン問題でかなり損失を被ったようですね
A:5 べつに
Q:6 ところで川崎Fの最強チーム問題なんですが、まあ収束しているんですけどね。そもそもああいう条項があることがどうなのかと。川崎Fサポーターはユニフォームを着てプレーする選手がベストメンバーだと的確な発言をしてます。まあ、川崎Fの社長さんに対して犬飼さんが詰問した時にサポーターをだしに使ったのを受けた発言なんですけどね。ちなみに犬飼さんと川崎Fの武田社長とは大学のサッカー部の先輩後輩の間柄で、そういう事もあって詰問、みたいになったという背景があるんですね。Jリーグ側とすればベストメンバー条項はこれからも存続させていくと明言したようですが、今このタイミングで明言するんじゃなく、まずは議論させてみる、というやり方もあったと思っています。
日本人の悪いところでもありいいところなんですが、一度決まったことを変えたくない、という本能みたいなものがJリーグに関しては悪い方向に出ているような気がします
A:6 べつに
Q:7 お風呂は男女
A:7 べつで
Q:8 更衣室は男女
A:8 べつで
Q:9 トイレも男女
A:9 べつで
Q:10 お支払いはご一緒で?
A:10 べつで
Q:11 イランのバスは男女
A:11 べつに
Q:12 ああ、あれでしょ。千葉にあるのに東京って言ってるネズミの国
A:12 べつに~
Q:13 あれか、よく流出させてるソフト
A:13 べつに~
Q:14 それって「に~」しかあってないですよね
A:14 べつに
Q:15 謝罪って足組んでするものなんですかね?
A:15 べつに
Q:16 ごく一般的な国民感情として、足組んで謝罪されても、さすがにポーズとしか思えないんですが
A:16 べつに
Q:17 というか、アレはキレキャラをまずは演じて、それでファンへの言葉で泣こうと思ったんだけど思いの外泣けなくて、10分くらい時間をかけてようやく泣けたんですよね
A:17 べつに
Q:18 まあでも今回の件で名前も覚えてもらえたし、映画の宣伝にもなったし、良かったですね
A:18 べつに
Q:19 でも、ぼくがCMの担当者ならもう二度と自社製品の宣伝には使わないですけどね
A:19 べつに
Q:20 「諸悪の根源」って意外と重たそうに思えますが、実は薄っぺらいし使う場所も間違っているようにも思うんですが、この言葉を使ったことについて何か見解があれば教えて頂けないでしょうか?
A:20 特に無いです
Q:21 もうネタがなくなってきました
A:21 べつに
Q:22 じゃあ止めていいですか?
A:22 べつに
Q:23 じゃあ止めますよ?
A:23 べつに
Q:24 いいんですね?
A:24 べつに
Q:25 じゃあもう一問だけ。あれって誰か、まねをしようと思った人物とかキャラとかがあったんですよね。去年突然引退したあの人とか、お笑いのあの人とか。でもなぁ、ちょっとやりすぎたんじゃないかと思うんですよね。まあ、今となっては別にいいんですが
A:25 べつに
「お忙しいところ、25言もありがとうございました」
「べつに」
( ・д・) 「沢尻か!」
⊂彡☆))Д´)
現在705SHという機種を使っているのだが、2~3ヶ月前からバッテリーが膨らむようになる。今の携帯に機種変更してから1年未満だったこともあり、膨らみを認識した時点でショップに持ち込むが、店員のお姉ちゃん、バッテリーは不良品ではないとのたまう。バッテリーの初期不良交換が可能なのは半年以内だとも言う。と言うわけで不良品扱いでの交換はできないので157に電話してポイントで交換してくれという。ならばショップの端末から手続きを取ってくれと伝えるが「それはできない」とのこと。
そんなやりとりの中で客を相手に切れている店員を見て、非常に腹を立てるがまあ、仕方ない。
そういう店であり店員なのである。
仕方なしに157へ電話。膨らんでいる事を伝えると「それはそういう仕様なので」とおっしゃられる。仕様と言われたらどうしようもない。正直それ以上ユーザーが文句を付けることはできない。使っていくうちに膨らんでいくことを想定した上で設計、製造されているからである。キャリアからそう言われたらどうしようもない。
「液漏れとかの可能性は?」と聞くが、これもないという。調べたら爆発や発火の可能性はあるようだが、液漏れというのはないらしい。これはこちらのツッコミ不足。頭に来るが、仕方ない。とりあえずはバッテリーが生きていたのでそのまま利用を続けることにする。
バッテリーの膨張を認識して2ヶ月ほど経った8月の中旬ごろから明らかに利用可能時間が短くなってくる。いよいよ交換の時期かと157に電話。電池パックの事を話すが、在庫が尽きているため、交換はできないという。
ならば入荷まで待つので、予約をしてくれというと「できない」とのこと。
「そういう場合、ユーザーはどうすればいいんでしょうかね」と尋ねると、また電話してくれという。ただし「いつ入荷するかはわからない」という。
ここで軽く切れているおれ。
「いつ入荷するかわからないけど電話してくれってことですか。じゃあいつ電話すればいいですかね?」と尋ねると「1週間くらいあとですかね」とおっしゃられる。
しょうがないので電話を切って1週間後に再度電話。しかし相変わらず在庫切れ。予約も不可。
さらに日にちを明けて電話。いい加減ぼくの事を覚えたのか「では入荷次第電話させて頂きます」と話がステップアップ。しかしこのころすでにバッテリーは1分も持たなくなっていた。とはいえ、入荷次第電話してもらう事にして切る。
しかし電話は来ない。
仕方ないので数日おきに電話し続けることに。その都度、まだ来ていないという。
フル充電でも1分も持たないバッテリーに業を煮やした事もありどうしようか思案した挙げ句、外装交換で代替機を受け取り、修理が終わるまでにバッテリーが入荷することを期待する事にする。
SBショップへ。目の前でふくれたバッテリーを見せたが、定員はバッテリーについては何も言ってこない。それどころかふくれたバッテリーを差し込んだまま交換に出そうとしていたため「仕上がった時にバッテリーのふたを外しておいてください」と申し出ると「ではバッテリーは持ち帰ってください」とバッテリを取り出して渡してくる。
この時も交換できることは言ってこない。
去り際に「バッテリーの在庫はないですか?」と尋ねても「ない」と言うだけでバッテリーに異常を来している事を無視し続ける。
外装交換に出して1週間程たってショップから電話。
「交換作業終わりました」とのこと。その電話の中でなぜだか「ふくれたバッテリーは交換できますから」と一言。ポイント交換でのバッテリーは未だに在庫は入らないようだが、ふくれたバッテリーの交換であれば一週間ほどで対応できると、しゃーしゃーという。
そもそも705SHのバッテリーが交換できることが通知されているならなぜ外装交換の受付時に言わないのか、思うがその時は電話を切る。
しかし冷静に考えたらおかしい。157でもそんな事は一言も言ってくれなかった。あらゆる事に切れたので、とりあえず157に電話して説明を聞くことに。
ふくれたバッテリーの交換は7月1日からスタートしていたとのこと。ところが交換に関しては、ユーザーからの申し出がない限り、提案はしないとのこと。どおりでこちらが何度もバッテリーについて電話してきても何も提案してこないはずである。
「それはおかしい」とのこちら側の抗議に対し「意見として承ります」とのこと。「では報告を上に上げたものを紙にして見せてほしい」と伝えると「それはできない」という。しばしオペレーターさんと話し合うが、いかんせん権限がなさ過ぎる。そもそもそのお姉さんに当たっても仕方ない。
と言うことで現場の責任者に変わってもらう。
Iさんという女性が登場。
改めて、705SHのバッテリーについての対応について質問。
他メーカーの場合、ふくれたバッテリーが見つかるとすぐに交換を申し出たという事例を説明。しかし「うちはそれはやっていない」という。
しかし、やはりおかしい。「バッテリーがふくれていればショップで交換対応してくれる」とショップの女性は話していた。それってつまりバッテリーの不良を認めたことになるだろうと伝えるが、リコール扱いになる、という事実だけは絶対に認めようとしない。認めたらえらいことになるのをわかっているのだろう。
157に電話した時点で認めさせたいことがいくつかあった。
まずはバッテリーのリコール。でもそれはできない相談だろうと思うので、であるならば、バッテリーが膨れた場合交換できる、という事を周知徹底させるべきじゃないのかと伝える。店頭ででもいいし、Webででもいい。ところがこれもできないという。
だけど「膨らんだバッテリーは交換してくれる」のである。ところがそれをユーザーが口にしない限りは提案はしてこないとも言う。そんなのやっぱりおかしい。
と言うことでかなり粘って話をすると、I女史。「私の管轄の数百人のオペレーターに関しては、705SHのバッテリーに関する質問があった場合、膨れていたら交換できる旨ユーザーさんに伝えるように通達を出します」との言質を取る。「ただし、その通達がオペレーターレベルで徹底できるかどうかは保証できない」とも言う。まあ、それはそれとして、バッテリー交換に関するアナウンスをソフトバンク側が自らやると宣言した事に意味がある。個人的にそれで満足である。最初に電話に出たオペレーターさんとの通話時間も含めると、1時間ほど電話していたようで、正直むだな時間を使ったと電話を切った後に凹むが、まあ仕方ない。
そもそもソフトバンクは、短期間で携帯を変えていくユーザーの端末の代金を広く浅くユーザーが負担しているのはおかしいと話していた。だから分割払い制度にして、2年間は使い続けるような仕組みを作ったのである。そしてそれは環境にも優しいではないかとブチ上げていたのである。
そんなソフトバンクが、バッテリーが手に入らないからと、端末を買い換えるような方向に持っていこうと言うのはやはりおかしい。そういう意味で、バッテリーの交換をオペレーター側が申し出るような通知を出したというのは大いなる進歩であると考える。
ホントにできるのかはわからないが、I女史の努力に期待したいと思う。
さて、明日はショップに行って真意を聞かねばなぁ。
そんなやりとりの中で客を相手に切れている店員を見て、非常に腹を立てるがまあ、仕方ない。
そういう店であり店員なのである。
仕方なしに157へ電話。膨らんでいる事を伝えると「それはそういう仕様なので」とおっしゃられる。仕様と言われたらどうしようもない。正直それ以上ユーザーが文句を付けることはできない。使っていくうちに膨らんでいくことを想定した上で設計、製造されているからである。キャリアからそう言われたらどうしようもない。
「液漏れとかの可能性は?」と聞くが、これもないという。調べたら爆発や発火の可能性はあるようだが、液漏れというのはないらしい。これはこちらのツッコミ不足。頭に来るが、仕方ない。とりあえずはバッテリーが生きていたのでそのまま利用を続けることにする。
バッテリーの膨張を認識して2ヶ月ほど経った8月の中旬ごろから明らかに利用可能時間が短くなってくる。いよいよ交換の時期かと157に電話。電池パックの事を話すが、在庫が尽きているため、交換はできないという。
ならば入荷まで待つので、予約をしてくれというと「できない」とのこと。
「そういう場合、ユーザーはどうすればいいんでしょうかね」と尋ねると、また電話してくれという。ただし「いつ入荷するかはわからない」という。
ここで軽く切れているおれ。
「いつ入荷するかわからないけど電話してくれってことですか。じゃあいつ電話すればいいですかね?」と尋ねると「1週間くらいあとですかね」とおっしゃられる。
しょうがないので電話を切って1週間後に再度電話。しかし相変わらず在庫切れ。予約も不可。
さらに日にちを明けて電話。いい加減ぼくの事を覚えたのか「では入荷次第電話させて頂きます」と話がステップアップ。しかしこのころすでにバッテリーは1分も持たなくなっていた。とはいえ、入荷次第電話してもらう事にして切る。
しかし電話は来ない。
仕方ないので数日おきに電話し続けることに。その都度、まだ来ていないという。
フル充電でも1分も持たないバッテリーに業を煮やした事もありどうしようか思案した挙げ句、外装交換で代替機を受け取り、修理が終わるまでにバッテリーが入荷することを期待する事にする。
SBショップへ。目の前でふくれたバッテリーを見せたが、定員はバッテリーについては何も言ってこない。それどころかふくれたバッテリーを差し込んだまま交換に出そうとしていたため「仕上がった時にバッテリーのふたを外しておいてください」と申し出ると「ではバッテリーは持ち帰ってください」とバッテリを取り出して渡してくる。
この時も交換できることは言ってこない。
去り際に「バッテリーの在庫はないですか?」と尋ねても「ない」と言うだけでバッテリーに異常を来している事を無視し続ける。
外装交換に出して1週間程たってショップから電話。
「交換作業終わりました」とのこと。その電話の中でなぜだか「ふくれたバッテリーは交換できますから」と一言。ポイント交換でのバッテリーは未だに在庫は入らないようだが、ふくれたバッテリーの交換であれば一週間ほどで対応できると、しゃーしゃーという。
そもそも705SHのバッテリーが交換できることが通知されているならなぜ外装交換の受付時に言わないのか、思うがその時は電話を切る。
しかし冷静に考えたらおかしい。157でもそんな事は一言も言ってくれなかった。あらゆる事に切れたので、とりあえず157に電話して説明を聞くことに。
ふくれたバッテリーの交換は7月1日からスタートしていたとのこと。ところが交換に関しては、ユーザーからの申し出がない限り、提案はしないとのこと。どおりでこちらが何度もバッテリーについて電話してきても何も提案してこないはずである。
「それはおかしい」とのこちら側の抗議に対し「意見として承ります」とのこと。「では報告を上に上げたものを紙にして見せてほしい」と伝えると「それはできない」という。しばしオペレーターさんと話し合うが、いかんせん権限がなさ過ぎる。そもそもそのお姉さんに当たっても仕方ない。
と言うことで現場の責任者に変わってもらう。
Iさんという女性が登場。
改めて、705SHのバッテリーについての対応について質問。
他メーカーの場合、ふくれたバッテリーが見つかるとすぐに交換を申し出たという事例を説明。しかし「うちはそれはやっていない」という。
しかし、やはりおかしい。「バッテリーがふくれていればショップで交換対応してくれる」とショップの女性は話していた。それってつまりバッテリーの不良を認めたことになるだろうと伝えるが、リコール扱いになる、という事実だけは絶対に認めようとしない。認めたらえらいことになるのをわかっているのだろう。
157に電話した時点で認めさせたいことがいくつかあった。
まずはバッテリーのリコール。でもそれはできない相談だろうと思うので、であるならば、バッテリーが膨れた場合交換できる、という事を周知徹底させるべきじゃないのかと伝える。店頭ででもいいし、Webででもいい。ところがこれもできないという。
だけど「膨らんだバッテリーは交換してくれる」のである。ところがそれをユーザーが口にしない限りは提案はしてこないとも言う。そんなのやっぱりおかしい。
と言うことでかなり粘って話をすると、I女史。「私の管轄の数百人のオペレーターに関しては、705SHのバッテリーに関する質問があった場合、膨れていたら交換できる旨ユーザーさんに伝えるように通達を出します」との言質を取る。「ただし、その通達がオペレーターレベルで徹底できるかどうかは保証できない」とも言う。まあ、それはそれとして、バッテリー交換に関するアナウンスをソフトバンク側が自らやると宣言した事に意味がある。個人的にそれで満足である。最初に電話に出たオペレーターさんとの通話時間も含めると、1時間ほど電話していたようで、正直むだな時間を使ったと電話を切った後に凹むが、まあ仕方ない。
そもそもソフトバンクは、短期間で携帯を変えていくユーザーの端末の代金を広く浅くユーザーが負担しているのはおかしいと話していた。だから分割払い制度にして、2年間は使い続けるような仕組みを作ったのである。そしてそれは環境にも優しいではないかとブチ上げていたのである。
そんなソフトバンクが、バッテリーが手に入らないからと、端末を買い換えるような方向に持っていこうと言うのはやはりおかしい。そういう意味で、バッテリーの交換をオペレーター側が申し出るような通知を出したというのは大いなる進歩であると考える。
ホントにできるのかはわからないが、I女史の努力に期待したいと思う。
さて、明日はショップに行って真意を聞かねばなぁ。
7月22日に、福岡県久留米市田主丸町で行われた福岡レジェンド第2回ちびりんカップに参加した沖代JSCに帯同したので報告しようと思う。まずは大会の概要。
1)試合時間は前後半12分ハーフ。ハーフタイムは3分間。
2)参加した12チームを4グループに分け、それぞれのグループごとに3チーム総当たりのリーグ戦を行う。リーグ戦の結果により1位・2位・3位グループを作り、順位決定トーナメントを行って各グループの順位を決する。
3)予選リーグの順位は、勝利=3、引き分け=1、負け=0の勝ち点で決める。同一勝ち点の場合、1)得失点差、2)総得点、3)当該チームの勝敗、4)抽選の優先順位で順位を決定する。
4)順位決定トーナメントで引き分けの場合、3名のPK戦によって勝敗を決する。3名で決着が付かない場合はサドンデスに移行する。
5)対象は小学校4年生以下のチームで、8人制。
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大分県北部の中津市から久留米市田主丸町までは1時間半ほどかかるため、集合は朝7時半。早い時間にもかかわらず子供たちはすでに集まっており元気そうに話していた。
沖代JSCのチームカラーは黄色と黒ということもあって移動着はロゴが入った黒色のユニフォームである。これがなかなかかっこいい。
高橋監督と、子供を引率する保護者代表とで打ち合わせをして一路田主丸町へ。
大会自体は朝の9時からスタート。8時半から監督会議が行われるとのことだったが、遠方のチームに限り監督会議は任意。また試合開始時間も10時からに設定してもらうなどの便宜を図ってもらっていた。
ちなみに試合会場は、久留米市立船越小学校に隣接するグラウンドで、8人制の子供向けのピッチが2面作られておりすでに大会はスタートしていた。
スペースが広く作れ、多くの選手がボールに触れる機会が増えるとのことで低学年の子供向けに8人制の大会は広く浸透してきている。サッカーを始めたばかりの小学生年代の子供たちにとって必要なのは11人制のサッカーにおける戦術論の理解ではなく、その場その場でのボールコントロールの技術だという方向性を良く現しているとも言える。
ちなみに同一の小学校から2チームがエントリーしているのは沖代小学校のみ。少子高齢化が言われる中、新興住宅地ということもあって住民が流入し子供たちが年々増えているという地域特性が良く出ている。
グラウンドに到着した子供たちに練習を指示する高橋監督。全員そろってブラジル体操で体を温める。出番が近づいてきたAチームの子供たちがユニフォームに着替えてボールを使った練習を始めた。まだそれほど練習をさせていないこともあるのかもしれないが、浮き球の処理には苦労していた。ただ、1回2回の失敗を繰り返す中ですぐにコツを掴むあたりプレゴールデンエイジの子供たちの特性が良く出ている。1試合目が始まる直前に高橋監督がフォーメーションを指示する。8人制の場合、オーソドックスな陣形は2-3-2という事らしい。ちなみに守備的なチームの場合、3-3-1という事もある。もちろん基本的に陣形は自由である。
沖代Aの1試合目がスタート。3点をリードしたハーフタイムに指示がでる。後半も順調な試合運びを見せ、3点を追加して6-0で初戦を勝利する。
Aチームの試合が終了した直後に、沖代Bの1試合目が始まる。先制する幸先のいいスタートを切ることができたが、中盤以降に追いつかれ無念の逆転負け。沖代Aが11-0で大勝した2試合目の試合後。カメラを向けると我先にと子供が集まってきた。そういう姿はインドネシアでもイランでも万国共通である。
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沖代Bの2試合目は田主丸との対戦となる。2点を先攻されながらも同点に追いつく粘りを見せたが、ここから4点を畳みかけられて6失点。最終的に3-6での敗戦となった。試合後、よほど悔しかったのかGKのマコトくんが涙を見せる場面も。それに気付いた他の選手たちが「良くやってたジャン」とか「マコトだけのせいじゃないよ」とか慰めていた。まさにチームワークである。
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3位グループトーナメントへと進んだ沖代Bだが、初戦の大川東との対戦は先制を許す苦しい展開に。しかし早い時間帯に同点に追いつくと、終盤に逆転ゴールが生まれて勝利し柴刈との決勝へと駒を進めた。
一方、予選リーグを1位通過した沖代Aの1位グループの準決勝も難しい試合展開となる。先制したのは沖代だったが、警戒していた唐津の10番の個人技で同点に追いつかれてしまった。
この試合、相手のエースであるこの10番に高橋監督は吉田くんをマークに付けていた。その10番に奪われた得点が悔しかったのか、吉田くんが10番に対してファールしてしまいFKを与える。少々距離のあるFKだったが、GKの届かないコースを狙われて唐津に逆転されてしまった。
劣勢に立たされた沖代Aだったが、ここから選手たちは頑張りを見せる。個人技でタテに突破したボールをマイナスのクロス。これを池田くんがダイレクトでシュートしてまずは同点。さらに池田くんがドリブルで持ち込んで逆転ゴールを決めた。結局この試合を3-2で勝利し、決勝戦へとコマを進めた。
---
3位グループ決勝を戦う沖代Bは、開始早々にタケルくんがループシュートを決めて先制。1-0で折り返した後半にタケルくんが1点を追加するが、ここから柴刈が反撃を開始。カウンター気味に15番に1点を返されると、すぐさまタケルくんが3点目を奪ってリードを広げる。しかし柴刈も負けずに15番が2点目をゲット。3-2として一気に波に乗ろうとする柴刈だったが、ここで沖代Bの窮地を救ったのが、すでに3点を決めていたタケルくんだった。劣勢のチームに勢いを与える4点目を叩き込むと、気落ちした柴刈に追いつく気力は残っていなかった。試合はそのまま終了し、沖代Bが3位トーナメント優勝を決めた。
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1位トーナメント決勝は、大会を主催したレジェンドではなく田主丸。2対2の点の取り合いの末、PK戦を制して勝ち上がりを決めていた。ちなみにこの田主丸は予選リーグでBチームを相手に6対3という試合を演じており、そのリベンジの意味も込められた決勝戦となった
立ち上がりのスキを疲れたのか、集中を欠く沖代Aに対し、田主丸は17番の選手がするするっとドリブル突破していきなり先制点を決めてしまう。しかしここで沖代Aは慌てることなく落ち着いてすぐに1点を返し、さらに植田くんのドリブル突破をきっかけに逆転ゴールが生まれた。
前半のうちに逆転できたことで波に乗ったのか、沖代Aは後半にも2ゴールを畳みかけて田主丸を圧倒。1位グループの優勝を決めた。
大喜びの選手たちは、応援してくれた保護者のみなさんの元へ挨拶へ。キャプテンの北野くんは「ハットトリックもできたし、優勝もできて良かったです。また応援してくれてうれしかったです」と試合を振り返っていた。
大会終了後に沖代A、沖代Bの両チームが1位グループ、3位グループ優勝の表彰を受け、それぞれのチームからMVPが選出された。ちなみに沖代Aからは攻守に渡り活躍した吉田くんが。沖代Bからは決勝で4ゴールを畳みかけたタケルくんが選ばれた。---
北野奨キャプテン
「みんなが頑張ったので優勝できました。監督はいろいろ、シュートとかフェイントとか、トラップとかを教えてくれて優勝できてよかったです」
ACLの取材で韓国に来ています。光陽という町の隣にある順天という町に宿泊しています。日がかげるとかなり肌寒く、試合日の試合後が思いやられます。タイトなスケジュールになりそうです。
ちなみにたまたま同じホテルに北朝鮮のU17代表チームが滞在中ということで警察による厳重な警備下にあります。朝鮮語を話せないので遭遇してもどうしようもないんですが、ちょっとどんな感じなのか見てみたい気もします。
ちなみに韓国は今年行われるU17世界大会のホスト国です。
ちなみにたまたま同じホテルに北朝鮮のU17代表チームが滞在中ということで警察による厳重な警備下にあります。朝鮮語を話せないので遭遇してもどうしようもないんですが、ちょっとどんな感じなのか見てみたい気もします。
ちなみに韓国は今年行われるU17世界大会のホスト国です。
祖母の件もあって実家に帰っていましたので、27日に沖代小学校での練習に顔を出しまして、少しばかりコーチの手伝いをしました。
高橋さんと話をしていると、ウォーミングアップを終えた子供たちを見てくれとのこと。少々テンパリました。まあ、子供たちは自分たちでマーカーを並べてドリブルの練習を始めたので、それを端から見ながらいろいろとアドバイスしました。
ボール1つ分くらいの間隔でマーカーを10個ほど並べたドリブルの練習だったんですが、できるだけボールを触れますし4年? もしくは新5年生くらいの年代の子供にはいい練習だと思います。ただ、マーカーの間隔が狭いので、顔を上げるようにという事は伝えました。足のいろんな場所で触るようにという事も言いましたが、何回かやる中で足のそれぞれの場所で触ってたので決まりがあるようでした。
その後、子供たちがシュート練習すると言ってたので、そのままシュート練習に。一度ボールを当ててもらい、落としたボールをシュートまで行くという形式でやったんですが、何人かの子供はすでに強烈な弾道のボールを蹴っていて驚きました。
また、中にはボールコントロールに苦労する子供もいたんですがそうした子供をどう拾い上げて楽しませるのか、課題だなぁと思いました。
子供が10数人いたんですが、その割にシュートは一人ずつだったので待ち時間がもったいない。ということで、途中から2対2に。ディフェンス側からフォーワードにパスを出し、そこから2対2がスタート。一回ごとに攻守を入れ替えてやらせました。チャレンジ・アンド・カバーの概念はまだ難しい年代らしく、どう改善させていいのかちょっと頭が回らなかったです。
その年代はそこまで。6年生が試合をはじめたんですが、6年生全員はやれないので残った12名ほどの子供たちを今度は指導しました。
最初は2対2。一回一回攻守を入れ替えてたんですが、途中からシュートを決めたら攻撃を継続。シュートをブロックできたら守備陣は攻撃陣と入れ替わりというルールに変えて少々緊張感を持たせてやりました。
続いてグリッドの中で3対2を設定。3人の攻撃側が5本ボールをつないだらグリッドを出てゴールを目指します。守備陣は、グリッドの外で1人が待ちかまえており、グリッドからゴールまでの間は3対3になります。一人多いので攻撃陣はわりと簡単に5本つなげるのかと思ったんですが思いの外難航。5本のパスを3本に減らしてようやく攻撃に出られるようになりましたが、それでも守備陣が止める回数は多い。そこでアンダー3タッチ以内というルールを付け加えてなんとか3本つながるように。
今思い返すと、攻撃側の選手たちはポジションをあまり移動させておらず、ボールのないところでの動きの質が低かったなぁと。
冷静に考えればそういう改善ポイントは浮かんでくるんですが、いざうまく行かない練習を目の前にするとどうしようか考えすぎてダメですね。指導は難しい。
最後は5人の卒業生を交えて8対7のミニゲーム。夜7時を過ぎて真っ暗になるまで子供たちは無邪気にボールを追いかけてましたが、そのおかげで親御さんには心配をかけたかも。そんな感じでコーチ実戦の初回は非常にできの悪いものでした。
練習メニューの引き出しがあまりに少ないため、状況に応じた練習メニューを設定できないのは痛恨でした。まあ、そううまく行くはずがないので悲観はしてないですが、でも子供たちを教えるのは難しいです。
まあ、そんな感じで。しっかり勉強しなきゃなぁと思う今日この頃です。コーチをさせてもらえるチームが見つかったらまた報告します。
高橋さんと話をしていると、ウォーミングアップを終えた子供たちを見てくれとのこと。少々テンパリました。まあ、子供たちは自分たちでマーカーを並べてドリブルの練習を始めたので、それを端から見ながらいろいろとアドバイスしました。
ボール1つ分くらいの間隔でマーカーを10個ほど並べたドリブルの練習だったんですが、できるだけボールを触れますし4年? もしくは新5年生くらいの年代の子供にはいい練習だと思います。ただ、マーカーの間隔が狭いので、顔を上げるようにという事は伝えました。足のいろんな場所で触るようにという事も言いましたが、何回かやる中で足のそれぞれの場所で触ってたので決まりがあるようでした。
その後、子供たちがシュート練習すると言ってたので、そのままシュート練習に。一度ボールを当ててもらい、落としたボールをシュートまで行くという形式でやったんですが、何人かの子供はすでに強烈な弾道のボールを蹴っていて驚きました。
また、中にはボールコントロールに苦労する子供もいたんですがそうした子供をどう拾い上げて楽しませるのか、課題だなぁと思いました。
子供が10数人いたんですが、その割にシュートは一人ずつだったので待ち時間がもったいない。ということで、途中から2対2に。ディフェンス側からフォーワードにパスを出し、そこから2対2がスタート。一回ごとに攻守を入れ替えてやらせました。チャレンジ・アンド・カバーの概念はまだ難しい年代らしく、どう改善させていいのかちょっと頭が回らなかったです。
その年代はそこまで。6年生が試合をはじめたんですが、6年生全員はやれないので残った12名ほどの子供たちを今度は指導しました。
最初は2対2。一回一回攻守を入れ替えてたんですが、途中からシュートを決めたら攻撃を継続。シュートをブロックできたら守備陣は攻撃陣と入れ替わりというルールに変えて少々緊張感を持たせてやりました。
続いてグリッドの中で3対2を設定。3人の攻撃側が5本ボールをつないだらグリッドを出てゴールを目指します。守備陣は、グリッドの外で1人が待ちかまえており、グリッドからゴールまでの間は3対3になります。一人多いので攻撃陣はわりと簡単に5本つなげるのかと思ったんですが思いの外難航。5本のパスを3本に減らしてようやく攻撃に出られるようになりましたが、それでも守備陣が止める回数は多い。そこでアンダー3タッチ以内というルールを付け加えてなんとか3本つながるように。
今思い返すと、攻撃側の選手たちはポジションをあまり移動させておらず、ボールのないところでの動きの質が低かったなぁと。
冷静に考えればそういう改善ポイントは浮かんでくるんですが、いざうまく行かない練習を目の前にするとどうしようか考えすぎてダメですね。指導は難しい。
最後は5人の卒業生を交えて8対7のミニゲーム。夜7時を過ぎて真っ暗になるまで子供たちは無邪気にボールを追いかけてましたが、そのおかげで親御さんには心配をかけたかも。そんな感じでコーチ実戦の初回は非常にできの悪いものでした。
練習メニューの引き出しがあまりに少ないため、状況に応じた練習メニューを設定できないのは痛恨でした。まあ、そううまく行くはずがないので悲観はしてないですが、でも子供たちを教えるのは難しいです。
まあ、そんな感じで。しっかり勉強しなきゃなぁと思う今日この頃です。コーチをさせてもらえるチームが見つかったらまた報告します。
思うところあって、先日C級ライセンス取得のための合宿に参加し、無事に修了を認定してもらいました。C級は12歳以下の年代を対象にしており、子供たちのプレーの質を高める事に主眼が置かれているんですが、それにしても難しい。目の前で行われるプレーの中にある問題点を即座に発見し、それを改善しなければなりません。それが難しい。特にプレーが流れる2対2や3対3の中でそうした問題点を見つけるのは至難の業。改めて、監督をされている指導者のみなさんの日常の活動を見直した次第です。ちなみに参加していたのは、F.LEAGUEに所属するバサジィ大分の3選手。大分トリニータの下部組織のコーチ2人。そして酔狂なフリーライター34歳。九州総合スポーツカレッジで学んでいる14人の学生さんたちでした。
かなりいい経験になりましたし、一緒に学んだ19人の参加者とは長いつきあいになりそうです。
行ってきました、U2の日本公演最終日。
4月に予定されていた公演がメンバーの親族の病気だとかで延期され、行われたのが今回のさいたまスーパーアリーナでの振り替え公演でした。
当初、11月30日と12月4日の2日間のリクエストを出してたんですが、4日のアリーナのチケットが奇跡的に取れて最初の興奮。
11月29日と30日のパフォーマンスについての評価をネットで見て、さらに興奮。
オールスタンディングのアリーナライブというとリサ・ローブがon air East(Westだったかも)でやったとき以来、というか、そもそもライブにはあまり行ってないのでホントに久しぶりでした。
開演前のさいたまスーパーアリーナは、いろんな人が集まる空間になってました。
アリーナへのゲートへの誘導を待つ間にオーストラリアから遠征してきた3人組に話しかけられ、雑談している間に中国人か韓国人ぽいアジア系の外国人がゲートを聞きに来たので、その彼にはNゲートだと教え送り出しました。
3人組は整理番号1000番台ということで、係員が日本語で番号をアナウンスする中「いまだよ」とタイミングを教えてあげて送り出し、その直後にイタリアから遠征してきたアリーナBLのチケットを持つ一眼レフ装備のカップルに1700番台の入場のタイミングを教え、その直後にゲートへ。
オーストラリア人もイタリア人も、整列入場にいたく感心してました。
「こんなのあり得ないよ」
入場後。マッタリしてたらあっという間にアリーナが満杯に。開演直前に外人がビールを持ってずんずん前に出て行ったタイミングで最初の雪崩が発生。その後は常に人の波に押されてて、さすがに人が体をぶつけ合って交錯する空間だっただけに嫌な思いもありましたね。たとえば「Sometimes You Can't Make It On Your Own」だったかな、のボノMCの時に韓国人が大声で喋りはじめて、聞こえない事があって、あれは参りました。思わず「静かに」と言ってしまいました。
その韓国人なんですが、ライブツアーの一団の一人だったらしく、その中には身長150cm台(推定)くらいしかない女の子もいて、正面の至近距離にいながらもたぶんボノの顔なんて全く見えないはずなのに必死で手を掲げて歌っている子もいて、ちょっと感動的だったりしました。
そんなこんなで激しくゆられながら高度に人に密着した状態でライブを見ていたせいか、体温が急激に上昇。おかげでビール太りの不摂生がたたって大汗をかく始末。そういえばこの前フットサルやったときもすごい汗をかいたので、ホントデブです。
そんな事はさておき、日経新聞でボノが「涙が自然に出た。生涯で最高の体験だ。一つの価値観に縛られない日本を知った」と語るほどに最高のライブになった初日ですが、3回の最後の公演日もなかなかの盛り上がりでした。
今回の公演は8年ぶりになるそうですが、思い出せばその8年前の公演は東京ドームで、アリーナとは名ばかりのはるか後方のいすに座り、彼方に見える豆粒のボノは諦めてモニターのボノで満足してました。そこから考えれば今回のライブは本当にすごかった。だってこれですよ。
スゲー感動。目の前、5メートルの所にボノがいて歌ってんの。あり得ない。エッジもアダムも、表情がわかる距離。ドラムのラリーだけはさすがに見えにくかったけど、それにしてもバンドメンバーの表情がわかる距離で演奏を見れるって、これに勝る贅沢はないでしょ。ホントよかった。ライブ始まってからも、時折起こる地殻変動に乗っかってジワジワと前に進出して5列目くらいまでにはたどり着けたし。
なんか、今年はワールドカップからずっとダラダラと飛ばし続けてきたわけですが、これで精神的に一息つけたような気がします。
よっしゃ、また頑張ろう。
---
写真の時に演奏してたoneとこの演奏が始まる前にやった携帯クリスマスツリー
4月に予定されていた公演がメンバーの親族の病気だとかで延期され、行われたのが今回のさいたまスーパーアリーナでの振り替え公演でした。
当初、11月30日と12月4日の2日間のリクエストを出してたんですが、4日のアリーナのチケットが奇跡的に取れて最初の興奮。
11月29日と30日のパフォーマンスについての評価をネットで見て、さらに興奮。
オールスタンディングのアリーナライブというとリサ・ローブがon air East(Westだったかも)でやったとき以来、というか、そもそもライブにはあまり行ってないのでホントに久しぶりでした。
開演前のさいたまスーパーアリーナは、いろんな人が集まる空間になってました。
アリーナへのゲートへの誘導を待つ間にオーストラリアから遠征してきた3人組に話しかけられ、雑談している間に中国人か韓国人ぽいアジア系の外国人がゲートを聞きに来たので、その彼にはNゲートだと教え送り出しました。
3人組は整理番号1000番台ということで、係員が日本語で番号をアナウンスする中「いまだよ」とタイミングを教えてあげて送り出し、その直後にイタリアから遠征してきたアリーナBLのチケットを持つ一眼レフ装備のカップルに1700番台の入場のタイミングを教え、その直後にゲートへ。
オーストラリア人もイタリア人も、整列入場にいたく感心してました。
「こんなのあり得ないよ」
入場後。マッタリしてたらあっという間にアリーナが満杯に。開演直前に外人がビールを持ってずんずん前に出て行ったタイミングで最初の雪崩が発生。その後は常に人の波に押されてて、さすがに人が体をぶつけ合って交錯する空間だっただけに嫌な思いもありましたね。たとえば「Sometimes You Can't Make It On Your Own」だったかな、のボノMCの時に韓国人が大声で喋りはじめて、聞こえない事があって、あれは参りました。思わず「静かに」と言ってしまいました。
その韓国人なんですが、ライブツアーの一団の一人だったらしく、その中には身長150cm台(推定)くらいしかない女の子もいて、正面の至近距離にいながらもたぶんボノの顔なんて全く見えないはずなのに必死で手を掲げて歌っている子もいて、ちょっと感動的だったりしました。
そんなこんなで激しくゆられながら高度に人に密着した状態でライブを見ていたせいか、体温が急激に上昇。おかげでビール太りの不摂生がたたって大汗をかく始末。そういえばこの前フットサルやったときもすごい汗をかいたので、ホントデブです。
そんな事はさておき、日経新聞でボノが「涙が自然に出た。生涯で最高の体験だ。一つの価値観に縛られない日本を知った」と語るほどに最高のライブになった初日ですが、3回の最後の公演日もなかなかの盛り上がりでした。
今回の公演は8年ぶりになるそうですが、思い出せばその8年前の公演は東京ドームで、アリーナとは名ばかりのはるか後方のいすに座り、彼方に見える豆粒のボノは諦めてモニターのボノで満足してました。そこから考えれば今回のライブは本当にすごかった。だってこれですよ。
スゲー感動。目の前、5メートルの所にボノがいて歌ってんの。あり得ない。エッジもアダムも、表情がわかる距離。ドラムのラリーだけはさすがに見えにくかったけど、それにしてもバンドメンバーの表情がわかる距離で演奏を見れるって、これに勝る贅沢はないでしょ。ホントよかった。ライブ始まってからも、時折起こる地殻変動に乗っかってジワジワと前に進出して5列目くらいまでにはたどり着けたし。なんか、今年はワールドカップからずっとダラダラと飛ばし続けてきたわけですが、これで精神的に一息つけたような気がします。
よっしゃ、また頑張ろう。
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写真の時に演奏してたoneとこの演奏が始まる前にやった携帯クリスマスツリー
by ETO Takashi 2006.12.3
あなたがいてくれたから、ここまで来れました。
どれだけの力を与えてくれたのか、わかりません。
99年。仙台。ビクつきながら初めて声をかけた時、本当にごく普通に接してくれたのを今でも覚えています。
名ばかりのサッカーライター。
そんな得体も知れない人間を、一国一城のあなたは何の疑いもなく受け入れてくれましたね。
ぼくのライターとしての初めてのインタビューはあなたでした。
大分市営陸上競技場2階の会議室で、奥さんとお子さん二人が同部屋にいる中でのインタビューは今でもちょっと懐かしいです。
それからの事は、本当に、感謝してます。
00年のサッカーは本当に美しいものでした。
でも、わずかに勝ち点で1点届かなかった。
03年のサッカーも美しいものでした。
でも、勝ち点1足りませんでした。
1年間かけて積み上げてきた勝ち点がリセットされる。なんて残酷なシステムなんだろうかと思いました。
ただ、腰を据えてじっくりと作り込んだチームの土台はぐらつくこともなく、チームの財産となってますね。
おもしろいサッカーを指向してきたはずなのに、その過程で基礎が作り上げられていくのはすごいとしか言いようがない。
でもさすがにそれは教えてくれませんでしたね。
でも、ちょっとでも知りたいからまた顔出します。
昇格を決めた瞬間。どうなるのかなと自分でもわからなかったですが、涙がこぼれ落ちるほどではなかったです。
もっとハラハラと涙を流したかったです。まだまだボクには足りないものがあるみたいです。
来季のJ1での戦い。心待ちにしてます。
あなたがいてくれたから、ここまで来れました。
どれだけの力を与えてくれたのか、わかりません。
99年。仙台。ビクつきながら初めて声をかけた時、本当にごく普通に接してくれたのを今でも覚えています。
名ばかりのサッカーライター。
そんな得体も知れない人間を、一国一城のあなたは何の疑いもなく受け入れてくれましたね。
ぼくのライターとしての初めてのインタビューはあなたでした。
大分市営陸上競技場2階の会議室で、奥さんとお子さん二人が同部屋にいる中でのインタビューは今でもちょっと懐かしいです。
それからの事は、本当に、感謝してます。
00年のサッカーは本当に美しいものでした。
でも、わずかに勝ち点で1点届かなかった。
03年のサッカーも美しいものでした。
でも、勝ち点1足りませんでした。
1年間かけて積み上げてきた勝ち点がリセットされる。なんて残酷なシステムなんだろうかと思いました。
ただ、腰を据えてじっくりと作り込んだチームの土台はぐらつくこともなく、チームの財産となってますね。
おもしろいサッカーを指向してきたはずなのに、その過程で基礎が作り上げられていくのはすごいとしか言いようがない。
でもさすがにそれは教えてくれませんでしたね。
でも、ちょっとでも知りたいからまた顔出します。
昇格を決めた瞬間。どうなるのかなと自分でもわからなかったですが、涙がこぼれ落ちるほどではなかったです。
もっとハラハラと涙を流したかったです。まだまだボクには足りないものがあるみたいです。
来季のJ1での戦い。心待ちにしてます。
by ETO Takashi 2006.11.15
○高松大樹
Q:初代表ですが、ピンクのビブスをつけていたときの指示は?
具体的というか、外からプレスに行けみたいなね。ピンクはね。
Q:FWとしての動き方についての指示は?
一回簡単にもらって、サイドから崩すみたいな。
Q:クサビを受けてね。できてる?
できてるというか、サウジがそういう感じだから。チームのためにやるのは当たり前だから。
Q:2枚のポストプレーヤーに割り込んで行けそうな手応えは?
まだちょっとしかやっていないから、まあその中でアピールはしていかないとはいけないですけどね。長い時間やれればと思います。
Q:周作くんに代表の事は聞くの?
全然(笑)。あまり話さないですね。同じ世代が多いから。
Q:前田くんとか、啓太もそうか。ピンクビブスの13番は自分で選んだの?
そうだったんだ。俺、80番だから。まあとにかく試合に出ないと。まずは。
Q:出たいね試合。
そうですね。そこから、まずは。スタートなので。しっかり。
Q:監督からは何か言われたりはしないの?
何も。特に接触ないから。個別に指示を受けたりということはないです。
Q:昼は何をしているの?
飯食って寝てますね。あとはDVDを見て。24を持ってきました。あれはおもしろい。見た方がいいです。
Q:外出は?
散歩くらいはいいと思うんですけどね。ホテルだけだったらきついじゃないですか。
Q:五輪時のメンバーが多いチームなんですが、A代表との違いは?
やろうとするサッカーも違いますし、五輪といってもホント、すごい成長しているので。プレースタイルも良くなっている。いい刺激になります。
Q:特に伸びてた選手は?
みんなじゃないですか。Jリーグで結果を出してますし、それが自信になっていると思います。
○西川周作
Q:FKで嫌な相手は?
みんな球筋が違ってていやなんですけどね。本田は無回転だし、巻いてくるボールもすごいいいですし、アレさんもすごい巻いてくるし。ケンゴさんもすごいベッカムみたいな落ちるボールなので、それぞれの球筋は難しいです。
Q:その中でも本田くんはすごい?
先日名古屋と戦って、本田くんのFK、2本とも浮かしてくれたんでよかったんですが、あれが枠に来てたら難しいと思っていたんで「来るな!」って思って立ってました。
Q:闘莉王のドカンは?
あれはコースがすごいいいですし、スピードもいいですし、GKは絶対に嫌だと思います。
Q:そういえば最近FK見てないよ。
最近、練習をしてないので。サポーターも待ってくれているんで。いつか。練習して、密かにやって。まずはチーム(大分)で。まずは自分で自信を付けないと蹴れないのでとにかく練習あるのみなので。
Q:U21については?
すごい、見るのが楽しみにしてます。向こうは別メンバーなので、アウェイで。日本でやるのと韓国でやるのとはまた雰囲気が違うので、チャンスがあれば出たかったですが、自分はこっちに選ばれたので、選ばれた以上は100%の力でやりたいと思います。
今日の試合をしっかり見て、次、自分が出たときにしっかり研究しておきたいです。
Q:TVでも外から見れば大分違う発見があるんじゃない?
実際、自分が出場停止になったときに外から見たら得るものがすごく多かったので。第三者の立場は大きいです。
Q:昼間は?
4人同世代がいるので、本田の部屋に集まってプレイステーションをしてます。WEとか。パワプロしたり。伊野波と青山と本田と。すごい暇つぶしになっています。本田の部屋に集合して。
Q:選択したチームは?
昨日選んだのはユベントスを選ぼうとしたんですが、シエナと間違えて。そっくりで、それでさっそく間違えてあっさり負けました。ゲームはマジ弱いです。
Q:一番強いのは?
本田。青山、伊野波くんの順で最後にボクです。持っているんですがやらないので。これからやります。
Q:ところで高松くんも入ってきて。シャムスカのおかげ?
そうですね。マジックですね(笑)。
Q:こっちだと第3GKだけど、U21はレギュラー。向こうに行きたいという焦りは?
自分の力がが出せればと思ってます。それを自分の経験にしていければと思っています。そんこまであまり考えずに、まだまだ先は長いので。
Q:韓国代表のU21世代はなにか思い出はあるの?
ぼくが戦って一回も勝っていないので、僕たちの代は、アジアユースの準決勝で。それで司たちが勝ってくれたので、よかったです。
Q:決勝で負けちゃってね、泣いてたけどね。
らしいですね。見てないんですが。TVでは見てないです。韓国の時はPK決めたので。逆に福元が外したり森重が外したりしてたんですが。
でもホント、またチームに帰って司とできるのが楽しみです。
○高松大樹
Q:初代表ですが、ピンクのビブスをつけていたときの指示は?
具体的というか、外からプレスに行けみたいなね。ピンクはね。
Q:FWとしての動き方についての指示は?
一回簡単にもらって、サイドから崩すみたいな。
Q:クサビを受けてね。できてる?
できてるというか、サウジがそういう感じだから。チームのためにやるのは当たり前だから。
Q:2枚のポストプレーヤーに割り込んで行けそうな手応えは?
まだちょっとしかやっていないから、まあその中でアピールはしていかないとはいけないですけどね。長い時間やれればと思います。
Q:周作くんに代表の事は聞くの?
全然(笑)。あまり話さないですね。同じ世代が多いから。
Q:前田くんとか、啓太もそうか。ピンクビブスの13番は自分で選んだの?
そうだったんだ。俺、80番だから。まあとにかく試合に出ないと。まずは。
Q:出たいね試合。
そうですね。そこから、まずは。スタートなので。しっかり。
Q:監督からは何か言われたりはしないの?
何も。特に接触ないから。個別に指示を受けたりということはないです。
Q:昼は何をしているの?
飯食って寝てますね。あとはDVDを見て。24を持ってきました。あれはおもしろい。見た方がいいです。
Q:外出は?
散歩くらいはいいと思うんですけどね。ホテルだけだったらきついじゃないですか。
Q:五輪時のメンバーが多いチームなんですが、A代表との違いは?
やろうとするサッカーも違いますし、五輪といってもホント、すごい成長しているので。プレースタイルも良くなっている。いい刺激になります。
Q:特に伸びてた選手は?
みんなじゃないですか。Jリーグで結果を出してますし、それが自信になっていると思います。
○西川周作
Q:FKで嫌な相手は?
みんな球筋が違ってていやなんですけどね。本田は無回転だし、巻いてくるボールもすごいいいですし、アレさんもすごい巻いてくるし。ケンゴさんもすごいベッカムみたいな落ちるボールなので、それぞれの球筋は難しいです。
Q:その中でも本田くんはすごい?
先日名古屋と戦って、本田くんのFK、2本とも浮かしてくれたんでよかったんですが、あれが枠に来てたら難しいと思っていたんで「来るな!」って思って立ってました。
Q:闘莉王のドカンは?
あれはコースがすごいいいですし、スピードもいいですし、GKは絶対に嫌だと思います。
Q:そういえば最近FK見てないよ。
最近、練習をしてないので。サポーターも待ってくれているんで。いつか。練習して、密かにやって。まずはチーム(大分)で。まずは自分で自信を付けないと蹴れないのでとにかく練習あるのみなので。
Q:U21については?
すごい、見るのが楽しみにしてます。向こうは別メンバーなので、アウェイで。日本でやるのと韓国でやるのとはまた雰囲気が違うので、チャンスがあれば出たかったですが、自分はこっちに選ばれたので、選ばれた以上は100%の力でやりたいと思います。
今日の試合をしっかり見て、次、自分が出たときにしっかり研究しておきたいです。
Q:TVでも外から見れば大分違う発見があるんじゃない?
実際、自分が出場停止になったときに外から見たら得るものがすごく多かったので。第三者の立場は大きいです。
Q:昼間は?
4人同世代がいるので、本田の部屋に集まってプレイステーションをしてます。WEとか。パワプロしたり。伊野波と青山と本田と。すごい暇つぶしになっています。本田の部屋に集合して。
Q:選択したチームは?
昨日選んだのはユベントスを選ぼうとしたんですが、シエナと間違えて。そっくりで、それでさっそく間違えてあっさり負けました。ゲームはマジ弱いです。
Q:一番強いのは?
本田。青山、伊野波くんの順で最後にボクです。持っているんですがやらないので。これからやります。
Q:ところで高松くんも入ってきて。シャムスカのおかげ?
そうですね。マジックですね(笑)。
Q:こっちだと第3GKだけど、U21はレギュラー。向こうに行きたいという焦りは?
自分の力がが出せればと思ってます。それを自分の経験にしていければと思っています。そんこまであまり考えずに、まだまだ先は長いので。
Q:韓国代表のU21世代はなにか思い出はあるの?
ぼくが戦って一回も勝っていないので、僕たちの代は、アジアユースの準決勝で。それで司たちが勝ってくれたので、よかったです。
Q:決勝で負けちゃってね、泣いてたけどね。
らしいですね。見てないんですが。TVでは見てないです。韓国の時はPK決めたので。逆に福元が外したり森重が外したりしてたんですが。
でもホント、またチームに帰って司とできるのが楽しみです。
11月12日。神戸ウイングスタジアムにて兵庫県高校サッカー選手権大会が行われ、滝川第二が優勝。見事選手権への出場を決めた。盤石の試合運びでの勝利だったが、その中でも注目してみていたのが大分への入団を決めていたボランチの金崎夢生である。
金崎は、4バックの前でにらみを利かせ、ポジションをほとんど代えることなく試合を進めており、少々物足りなさを感じつつ、監督からの指示があったのかと思ってみていた。ということで、試合後に話を聞くと、ポジションについては監督からの指示ではなく、試合の流れの中で、自分で意識して考えた結果だとのこと。
つまり前線の4枚が仕事をしてくれており、無理に攻めに行く必要はなかったということ。そしてコンビを組む大塚が負傷によって交代したことも、その判断を下す一因になっていたという。
金崎を見ていて思ったのは足元の巧さ、状況判断の的確さなのだが、なによりも特筆すべきは中距離(35~55m)のパスの能力の高さ。インフロントによって繰り出される正確なパスは、確実に味方選手の足元をとらえ、リズムを紡ぎ出していく。ボランチにあの精度のパスが出せる選手がいるとチームは心強い。気になったのが線の細さで、1対1で何度kあミスをする場面があったのだが、それはプロに入ってから鍛えればいいことである。そもそもの身長も180cmと恵まれたものを持っており、みっちりと鍛えていけばおもしろい素材になりそうである。
ちなみに決勝の試合後に話を聞いたが、しっかりと受け答えのできる好青年だった。原さん、いい仕事しましたね。
金崎夢生
(最終ラインの前にいることが多かった事については)監督の指示ではありません。
1-0で勝っているときに、そのまま守り切るのか、もう一点取りに行くのかという判断の中での結果で、コンビを組む大塚も生かせればと思っていました。
高円で優勝したので、チャレンジする大会でした。追われる立場になったんですが、だからこそ結果を出したかったです。
黒田監督とは少しでも長く試合をやりたいです。
(黒田監督が1年の時からすごいメンバーがそろっていると思っていたと話していました)それは昔からあって、だから天狗になってインターハイとか新人戦とかで失敗がありました。それを繰り返さないようにしたいです。
積み上がっていた本の山が消え失せ、がらんとした部屋を何気なく眺めていた。14年前。居候していた四谷の、寝るだけのスペースしかない部屋から引っ越してきた時の思い出がよみがえってきた。とにかく東京での一人暮らしがうれしかった。6畳と3畳ほどの台所が付いていてそれなりに広い部屋だった。まだ荷物も少なくて、のびのびと使えた。
家賃も安く、大家さんもいい方で(フリーになりたてで収入が無い時期に、家賃を半年滞納しても待ってくれた。もちろん大家さんにしてみれば迷惑極まりない住人だっただろうけど)、当面引っ越すつもりはなかった。
ある日部屋を出ると大家さんが屋根を見上げて誰かと話し込んでいた。見ると屋根に穴が空いていた。補修ではなく取り壊し。引っ越しが決定した。ぼくの場合、引っ越しの条件はシンプルで本が置けるスペースとスカパー!のチューナーが取り付けられる日当たりの良さ。その条件で探してもらったが、大家さんが管理する物件にその条件を満たすものはなく、昨年中に引っ越してほしいという大家さんからの要請はズルズルと延びて、結局2月までずれ込んだのである。そんな中で引っ越しが14日になったのは本当に偶然だった。アメリカに行く気満々だったので帰国便のことを考えれば12日以降でなければ引っ越しはできないという状況であり、さらには大安だったということでちょうどよかったのである。1ヶ月以上前にこの日は確定できていた。
諸事情でアメリカ行きをキャンセルし、宮崎合宿取材中に富樫さんの訃報を目にする。目が点、とはこのことだと思った。しばし呆然。その後、お通夜は15日で告別式は16日だと発表された。偶然というか、必然というか。それもこれも運命なのだろうけど。
たぶんその他のライターさんだったらそうは思わないのだろうが、いつも笑顔だった富樫さんを見送るその場の空気に触れたくて、斎場に足を運んだ。サポーターにも告知されたこともあって多くの方が弔問に訪れていたが、知り合いの横浜FCライターさんを見かけて話しかけたら、声を押し殺して泣いていた。「富樫さんは横浜FCの株主さんでね。J2のクラブなのによく見に来てくれました」と言葉を絞り出した。
いつだったか、いつも三ツ沢で見かける富樫さんに聞いたことがあった。
「よく来られてますね」
その時の答えを、ふと思い出した。横浜FCというクラブがフリューゲルス消滅という悲劇から生まれたクラブなのは周知の事実だが、日本中の多くのサッカーファンが、クラブの立ち上げに賛同し、手をさしのべた。そして富樫さんもその中の一人だったのである。自分が関わったクラブの成長を見るのはさぞかし楽しかった事だろう。ただ、それはもうかなわない事になってしまった。そんな事を思っていたら切なくなってちょっとだけ泣いた。
帰りがけにアフリカ選手権を取材してきたという知り合いのライターに話を聞いたが、決勝戦の試合前に、選手が整列した場面で30秒くらいの何もしない空白の時間があったという。記者に対して配られたペーパーによると、取材中に亡くなった日本のジャーナリストのために黙祷を捧げる、との記述があったらしい。アフリカ的おおらかさによって、決してそれは周知徹底されていたわけではなかったと言うが、そこまでしてもらえれば富樫さんも悪い気はしなかったんじゃないかと思う。知り合いにそういう事も含めて富樫さんとの思い出を書き残すべきだと話したが、いろいろあって難しいようだ。
---
以下余談。
供花者名にはそうそうたる名前が並んでいたが、その中に大分FCの職員一同と、それとは別にHさんの個人名も掲げられていた。前にも書いたが、富樫さんはまだ大分ができたての頃に深く関わってくれた方だった。大分というクラブは、経営に関しては素人に毛が生えた程度だが、人の生き死にには特別敏感な気がする。
昨年、難病を患っていた彩花ちゃんという女の子を救おう、という動きがサッカー界に広がった事があった。あの運動の事務局で広報をされていた方が、ある日の埼玉スタジアムで、ぼくを見つけるなり「大分は本当にありがたいね」と話しかけてきてくれた。話を詳しく聞くと、彩花ちゃんの一件を公表すると、どこのクラブよりも早く「協力したい」旨の連絡を入れてきたのだという。
「大分には加藤くんという前例があるからなのかな」とその方は言われていたが、もし雅也の一件が大分のそうした姿勢の背景にあるのであれば、彼の死はムダではなかった事になる。その勢いで、経営も、仕事ももっとがんばってほしいところ。現場はずいぶんと良くなってきたようだし、天国の富樫さんに佐伯で1000人くらいでサッカーやってたチームが優勝する姿を見せたいじゃない。
つい最近、ようやく引っ越し先が決まった。数ある物件の中から条件にあうものをピックアップして内見し、部屋の内部を確認しつつ騒音やら日当たりといった周辺の環境も考慮する。本当に面倒な作業だった。ただ、決まったのは部屋であり、引越しそのものはこれから始まる。業者の選定に始まり、引越し本番。そして住所変更に伴う諸手続きが控えている。引越し程度のイベントであったとしても、生活環境を変えるということの負荷は高い。そう考えると、プロサッカー選手が職場を変えることの負荷の高さは尋常ではないだろうということは容易に想像がつく。
われらが吉田孝行が、古巣(横浜FM)への復帰を決断した。その昔、大分に来た理由を聞いたとき、こんなことを話してくれたことがあった。
「(2000年に)ファーストステージで優勝した時、試合後にチームメイトとスーツ姿で記念撮影したんですがそのときに『なにやってるんだろう』って思った」と。
すでに試合のメンバーから外されて久しく、ステージ優勝によって現監督の残留は決定的になっていた。もちろん試合に出るための努力は重ねていた。ただ、それでも試合出場のための壁は高かった。フリューゲルスの消滅によって移籍して2年目。とにかく「試合に出たかった」のだ。
大分へ移籍すると、瞬く間に輝きを見せた吉田だったが、そんな吉田が犬飼の、スターレンスハウスができる以前の、水道しかない練習場で練習する姿はある意味衝撃的なものだった。ただ、彼はその環境を受け入れていた。目指すべき夢があったから。
「何もないのはわかっている。ただ、ここで成績を残すことで新しい物を手に入れる喜びがある」
そんな言葉を体現するように 端正な顔立ちには似合わない泥臭い仕事を黙々とこなした。攻撃的な役割はもちろん、危機の芽を察知して守備の局面でも激しく動き回った。だからといって驚異的なスタミナがあった、というわけでもない。ペース配分を無視し、「動けなくなったら、代えてもらう」というスタンスで、チームのために動き回った。
94年に設立された大分は、99年のJ2加入を契機に一足飛びに周辺設備を整えていった。ビッグアイが完成し、天然芝3面に人工芝1面。そしてクラブハウスといういっぱしのクラブへと成長した。クラブの施設が公金を含めて充実することに対して一切の批判がなかったわけではない。ただ、それに対する正当性は、チームが残した成績にあった。
02年に昇格を決めたシーズンの、吉田とアンドラジーニャとのコンビネーションは鮮烈で、あのシーズンを含めて、吉田がいたからこそ大分は今の施設を手にしたともいえる。そういう意味で、99年以降の大分にとって、吉田という選手は象徴的な存在だった。彼が流した汗は、嘘をつかなかった。
シャムスカ監督体制下では出場停止を除いて全試合で先発出場。大分の快進撃は彼の献身的な働きによるところが大きく、また、来季の先発メンバーの座もかなりの確率で揺るぐことはなさそうだった。そんな吉田にとって移籍という選択は非常に苦しいものだった。大分で行われた移籍会見では「あえて厳しい道を選び、自分一人で決めた。家族にもサポーターにも迷惑をかけた」と明かし、大分に対する深い思いが涙になった。
試合を求めて大分に移籍し、そして「自分の中で少しでもレベルの高いところで、代表レベルの選手と競い合ってレギュラー争いをしたいという気持ちがあり、移籍を決断しました」と横浜への移籍を説明した。
吉田のコメントを読み返すと、吉田が求めていたのはチームの雰囲気だとか、給料だとかではないことがわかる。ただただ彼は、ビッグクラブに行きたかったのである。経営の安定したビッグクラブに行きたかったのである。その思いは、チーム消滅の話を聞いて食事をもどした繊細さ(横浜フリューゲルス時代)や、去年大分が露呈したクラブ経営のずさんさと、はっきりとリンクしている。
正直に言って、今季の大分が目指そうとするチーム像がわからない。絶対的なストライカーを放出し、あらゆる意味で精神的支柱となっていた選手までも手放ししてしまった。今オフになされたチーム編成には大いなる疑問符をつけざるを得ない。ただ、若い選手を使いこなす手腕に長けているというシャムスカ監督にとって、今季のチーム編成は満足のいくものなのかもしれないし、監督のオーダーがあったのかもしれない。ただ、それにしても吉田の放出は、悲しい。金銭的な損得勘定を抜きにした、もっと大事な感情がそこにはあるのではないかと、そう、思ってしまう。
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お父さんに連れられて見に行った西が丘での横浜FC戦で、吉田のゴールを見て、ずっと「すげー! すげー!」と言い続けた少年は、地元Jクラブの難関の下部組織セレクションに合格した。吉田のゴールが、一人の少年の人生に大いなる刺激を与えた。
振り返るといろいろな場面を思い出すが、00年に加入直後の加賀見健介からの、意外性あふれるパスを受け、竹村へのラストパスを決めた仙台戦が真っ先に思い浮かんだ。もちろん原色の記憶も現れるが、セピア色になりかけた記憶の中でも吉田は躍動している。だからこそ、悲しい。この移籍が、悲しい。彼の大分サポーターへの「ありがとう。ありがとう。本当に、ありがとう」というメッセージが、とにかく悲しい。
ただ、移籍という事実は動かしようがない事実であり、それはもう決定事項となった。吉田には新天地でも、がんばってほしい。そして大分戦では元気な姿を見せてほしい。そのときはサポーターは、愛情満載のブーイングで出迎えてほしいと思う。常々「だめなときはブーイングしてほしい」と口にしていた吉田のことだ。大分サポーターをあきらめさせつつも、うならせる最高のパフォーマンスを見せてくれるに違いない。それじゃだめだけど、1年くらいはまあ、許容範囲内かな。
とにかく、がんばって。吉田クン。
われらが吉田孝行が、古巣(横浜FM)への復帰を決断した。その昔、大分に来た理由を聞いたとき、こんなことを話してくれたことがあった。
「(2000年に)ファーストステージで優勝した時、試合後にチームメイトとスーツ姿で記念撮影したんですがそのときに『なにやってるんだろう』って思った」と。
すでに試合のメンバーから外されて久しく、ステージ優勝によって現監督の残留は決定的になっていた。もちろん試合に出るための努力は重ねていた。ただ、それでも試合出場のための壁は高かった。フリューゲルスの消滅によって移籍して2年目。とにかく「試合に出たかった」のだ。
大分へ移籍すると、瞬く間に輝きを見せた吉田だったが、そんな吉田が犬飼の、スターレンスハウスができる以前の、水道しかない練習場で練習する姿はある意味衝撃的なものだった。ただ、彼はその環境を受け入れていた。目指すべき夢があったから。
「何もないのはわかっている。ただ、ここで成績を残すことで新しい物を手に入れる喜びがある」
そんな言葉を体現するように 端正な顔立ちには似合わない泥臭い仕事を黙々とこなした。攻撃的な役割はもちろん、危機の芽を察知して守備の局面でも激しく動き回った。だからといって驚異的なスタミナがあった、というわけでもない。ペース配分を無視し、「動けなくなったら、代えてもらう」というスタンスで、チームのために動き回った。
94年に設立された大分は、99年のJ2加入を契機に一足飛びに周辺設備を整えていった。ビッグアイが完成し、天然芝3面に人工芝1面。そしてクラブハウスといういっぱしのクラブへと成長した。クラブの施設が公金を含めて充実することに対して一切の批判がなかったわけではない。ただ、それに対する正当性は、チームが残した成績にあった。
02年に昇格を決めたシーズンの、吉田とアンドラジーニャとのコンビネーションは鮮烈で、あのシーズンを含めて、吉田がいたからこそ大分は今の施設を手にしたともいえる。そういう意味で、99年以降の大分にとって、吉田という選手は象徴的な存在だった。彼が流した汗は、嘘をつかなかった。
シャムスカ監督体制下では出場停止を除いて全試合で先発出場。大分の快進撃は彼の献身的な働きによるところが大きく、また、来季の先発メンバーの座もかなりの確率で揺るぐことはなさそうだった。そんな吉田にとって移籍という選択は非常に苦しいものだった。大分で行われた移籍会見では「あえて厳しい道を選び、自分一人で決めた。家族にもサポーターにも迷惑をかけた」と明かし、大分に対する深い思いが涙になった。
試合を求めて大分に移籍し、そして「自分の中で少しでもレベルの高いところで、代表レベルの選手と競い合ってレギュラー争いをしたいという気持ちがあり、移籍を決断しました」と横浜への移籍を説明した。
吉田のコメントを読み返すと、吉田が求めていたのはチームの雰囲気だとか、給料だとかではないことがわかる。ただただ彼は、ビッグクラブに行きたかったのである。経営の安定したビッグクラブに行きたかったのである。その思いは、チーム消滅の話を聞いて食事をもどした繊細さ(横浜フリューゲルス時代)や、去年大分が露呈したクラブ経営のずさんさと、はっきりとリンクしている。
正直に言って、今季の大分が目指そうとするチーム像がわからない。絶対的なストライカーを放出し、あらゆる意味で精神的支柱となっていた選手までも手放ししてしまった。今オフになされたチーム編成には大いなる疑問符をつけざるを得ない。ただ、若い選手を使いこなす手腕に長けているというシャムスカ監督にとって、今季のチーム編成は満足のいくものなのかもしれないし、監督のオーダーがあったのかもしれない。ただ、それにしても吉田の放出は、悲しい。金銭的な損得勘定を抜きにした、もっと大事な感情がそこにはあるのではないかと、そう、思ってしまう。
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お父さんに連れられて見に行った西が丘での横浜FC戦で、吉田のゴールを見て、ずっと「すげー! すげー!」と言い続けた少年は、地元Jクラブの難関の下部組織セレクションに合格した。吉田のゴールが、一人の少年の人生に大いなる刺激を与えた。
振り返るといろいろな場面を思い出すが、00年に加入直後の加賀見健介からの、意外性あふれるパスを受け、竹村へのラストパスを決めた仙台戦が真っ先に思い浮かんだ。もちろん原色の記憶も現れるが、セピア色になりかけた記憶の中でも吉田は躍動している。だからこそ、悲しい。この移籍が、悲しい。彼の大分サポーターへの「ありがとう。ありがとう。本当に、ありがとう」というメッセージが、とにかく悲しい。
ただ、移籍という事実は動かしようがない事実であり、それはもう決定事項となった。吉田には新天地でも、がんばってほしい。そして大分戦では元気な姿を見せてほしい。そのときはサポーターは、愛情満載のブーイングで出迎えてほしいと思う。常々「だめなときはブーイングしてほしい」と口にしていた吉田のことだ。大分サポーターをあきらめさせつつも、うならせる最高のパフォーマンスを見せてくれるに違いない。それじゃだめだけど、1年くらいはまあ、許容範囲内かな。
とにかく、がんばって。吉田クン。
| はじまり ーーーーーーーーーーーーー 唐突な知らせ 人間、驚きに接すると眠気も吹っ飛ぶものである。 そういう情報は知っていたが、まさか自分がそのリアクションをするとは思わなかった。着信履歴に残っていた時刻は8月3日午前9時1分。前日のハードなスケジュールの影響で寝ぼけていた意識が、一瞬でクリアになった。電話の主は、冷静な口調で仲間の死を告げていた。 |
出会い はじめて会った日の事は覚えていないが、99年の大分でのホームゲームだった事は間違いない。当時まだ3000人入れば御の字だった大分のホームゲームで、声を出して太鼓を叩いて声援を送る人数は50人に満たなかった。そういう環境の中で、濃いところの人間とコンタクトをとり続けていけば、彼に行き当たるのはそう難しい事ではなかった。 開門前の列が100人に満たない市営陸上競技場の照明灯の台座の所に腰掛けて、話をしてた事を思い出す。 |
考える時間 電話の主は、雅也が東京の病院で亡くなったと教えてくれた。前日の取材が長引き、終電に乗り遅れたぼくは熊本の荒尾という町にいた。予定通り博多へ移動できていれば、電話をもらった時点で福岡空港へ向かったはずだ。 なぜならば、荒尾で電話をもらった直後から、即座に東京に帰る事を考えたからだ。 今から東京に帰れば病院で彼に会えるはず。そんな事を考えながら乗り込んだ博多への特急電車の中で、1人になったとたんに涙が出てきた。この状況で1人でいるのは精神的に厳しかった。 電話をもらった直後から考えていた、東京に一刻も早く帰ろうという思いは、博多への1時間あまりの1人の時間の間に大分へ帰るべきだと思い直すようになる。 何もかもが整ったこの状況は偶然ではないはず。kaz家からも「帰るなら帰ってこいや」という話をしてもらっており、大分へ帰る事にした。 大分でMさんと合流して知り合いに訃報を連絡し、ちょうど買おうと思っていた数珠を仏具屋で購入。その後kaz家へ。1人では精神的にやばい状況だったが、そんな事お構いなしの3歳児の相手をすることで気が紛れたのは事実である。 |
職人魂 アジアカップ準決勝を見終えたくらいのタイミングで、不在着信のT局のSくんから折り返しの電話が入る。 「もしかして、という気はしていたんですが、番組の本番前にその話を聞いてしまったら原稿を読んでいる最中に泣いてしまいそうだったので…」 と彼は話していた。声にはハリがなく、ショックの大きさが伺えた。 3日の夜に石崎さんから電話が入る。人づてに今回の件を聞いたんだそうだ。大分で2年半を過ごした石崎さんにとってもゴール裏サポーターの代表の死は大きな意味があった。 その電話で、弔電と花の手配の打ち合わせをした。その後某国営放送の元大分担当者で、現在は関東の支局に勤務するTさんから着電。直接話をするのは去年のアウェイでの鹿島戦以来だろうか。葬儀当日には、弔電が届けられていた。
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| 告別式 ーーーーーーーーーーーーー
ご遺族、斎場との打ち合わせの結果、告別式を終えた後、火葬場に向かう途中にビッグアイに寄ってもらえる事になっていた。彼が愛したチームのホームスタジアムの前で、彼とともに戦った仲間たちと彼を送り出せる事となった。 そんな話をしていると、ふと霊柩車の運転手さんが会話に入ってきた。 彼は一切の私心を排除した口調で 「私はゆっくりと走りますから、みなさんはどんどん追い越していってください」 と言ってくれた。 「よりよい形で死者を送り出したい」という彼の職人としての気持ちがヒシヒシと伝わってきた。雅也はいろんな立場の人たちの、心からの追悼の気持ちを受けていた。 入り口に立っていたら、某国営放送の前大分担当のNさんが姿を現す。すでに大分からは異動になっているのだが、彼にお世話になったという事でわざわざ休暇を取って来たのだという。 このタイミングで、某TV局の知り合いから電話が入る。「ビッグアイでの追悼の場面を取材したいのだが」との事だった。 本来はそういう問い合わせに答える立場にはないのだが、サポーターの気持ちを伝えたくて、詳しい情報を伝えた。取材クルーは直接ビッグアイに向かうそうだ。 同じくらいのタイミングで、同じTV局のYアナから着電。今日になってようやく雅也の死を知ったという。これから会議があってどうしても式には出席できないという内容だった。それはそれで仕方ない。連絡すれば良かったとしばし後悔。Nさんと席に着くと、すぐそばにO局のNさんが座る。神妙な顔つきだ。 |
男前 告別式で一番男前だったのは、友人のIさんだろう。友人を代表して読み上げた弔辞はすばらしかった。自分が同じ立場に立ったら確実に泣き崩れるという場面で、こみ上げてくる感情を押し殺し立派に大役を全うしていた。ただ、それでも時折漏れる涙声が、感情を揺さぶった。 式の前に見た時には平静を保っていたように見えた奥さんは、焼香の時に見ると泣き崩れていた。たぶん、自分の夫に対して尽くされる、出席者が見せた「礼」に心が揺さぶられたんだろうと思う。目の前で自分の夫のために涙を流す人を見て、冷静でいられるほど人は強くない。 告別式が終わったタイミングでサポーターが呼ばれた。ご遺族のみなさんとともに花を棺に入れさせてくれるという。ご家族の厚意に感謝しつつ石崎さんが送った花から花を一輪手向ける。 改めて彼の顔をじっくり見せてもらったが、前日ちらっと見た時とは全く違う表情だった。穏やかな顔をしているとばかり思っていたが、実際は苦しげな表情を浮かべ、口のまわりには酸素マスクの後がくっきりと残っていた。 今思い出そうとしても彼の苦しげな表情は思い出せない。苦しげな表情をしていたという事は覚えているのだが、ではどんな顔だったのかというと、穏やかな顔しか浮かんでこないのだ。もちろん無理に思い出す必要はないから、それはそれでいいと思っている。 |
ビッグアイへ 霊柩車に乗せられる時、まわりを取り囲んだ数十人のサポーターが大声でマサヤコールを送り、その声に送られて彼は斎場を後にした。 即座に数十人のサポーターは自分の車を目指して走り出した。雅也がビッグアイにつくまでに追いつかなければならない。高速で追いついた雅也の車は、運転手さんの言葉通りゆっくりと進んでいた。付き従った何台もの車は親族のものだ。そうやってビッグアイにたどり着くとすでに多くの仲間が集まっているところだった。 O局のMさんもすでにそこにいた。 簡単に言葉を交わしたが、神妙な表情が印象的だった。
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| 加藤雅也追悼試合 ーーーーーーーーーーーーー J1-2ndステージ第2節 横浜FMvs大分 前回のホームでの磐田戦に引き続き、2ndステージのアウェイ初戦となるこの横浜FM戦は追悼試合として位置づけられていた。ただ、この試合を取材できるとは考えていなかった。そんな中、編集部から電話が入る。 「次の試合は水戸でいい?」 特に断る理由もない。横浜国際に行けないのであればどこに行っても同じである。イヤだといっても変わる訳でもないし、そもそも指示された取材地を断った事はない。自分の希望を伝える事はあったが、それもJ2を優先しての事だったから、J1とJ2の試合日が重複しているこの節に横浜に行けないのは確定していた。 編集部は恐縮しているような口ぶりだが、水戸も行けばおもしろいので気持ちをそちらに向かって盛り上げていった。状況が突然変わった。 首都圏のライターさんが軒並みアテネに出ていて、J1を書ける人がいないとの事。横浜に行ける人はいないか、と電話が来た。表にも書いたが、水戸の対戦相手がたまたま鳥栖だった事で大どんでん返しが起きた。 奇跡的な事だと思った。奇跡ってヤツは本当にこの世に存在するんだと思った。 |
お蔵入り 横浜FMサポーターと大分のコアサポは、直接面識はないという。それでもビッグアイに掲げられた「大分遠すぎ」のダンマクに対して「けが人多すぎ」というダンマクを掲げて以来、何かやらなきゃ、という思いがあったりするという。 そんな訳で、今回大分サポーターは「横国ピッチ遠すぎ」というダンマクを用意していた。追悼試合と位置づけられたこの試合には、掲示するダンマクの数を限定する事が試合前に告げられていた。そんな訳でこのダンマクはお蔵入りに。ちなみにネット上で騒がれた「火をつけてやる」発言もあって「大分遠すぎ」ダンマクを微妙に修正した「大分すき」というダンマクが大分ゴール裏に用意されていたという。しかし担当者が事情を話すとえらい恐縮して外してくれたとの事。こういう話を聞くと、ホッとする。 |
イメージ 「もう、イメージはできあがってるんだよね。梅田が目の前でゴールを決めて、そして空を指さすんだよ。泣くね」 Mさんの言葉を聞いて、フォエが亡くなった時のカメルーン代表や、ネルソン吉村さんが亡くなられた直後のC大阪を思い出した。確かにその光景を見たいと思った。 現実は、そう甘くはなかった。 | ||
| 後日談 ーーーーーーーーーーーーー エピローグ 加藤家は雅也と大分トリニータとの深く強い絆を実感しこれからのホームゲームにおいて20席の客席を継続して購入。それを「雅也シート」として子供たちに提供するという。 連絡が回らずに、葬儀に出席できなかったYくんは「お盆になにかあるのであればぜひ」と話していたが、加藤家はまだ日が浅いという事でお盆の行事は行わない事になったという。ただし、自宅まで来られるのであれば、ぜひ仏壇に手を合わせてください、という話を伝えた。 Yくんは「それで十分です」と言っていた。 ビッグアイでの別れの儀式を取材していたO局が、ローカルニュースで雅也の死を関連付けて磐田戦を伝えたという。サポーターが特別な思いで試合に臨んでいた事。ビッグアイでの儀式。そして涙。 そういう様子が、ちゃんと伝えられたという。もちろん相手は磐田でやりがいのある相手だが、その試合の裏に込められた特別な思いが十分に伝わる映像だったという。心からの感謝を述べたいと思う。27日の夜。突然T局のSくんから電話が入る。溝畑さんの社長就任会見に出たという。ニュースでは伝えられなかったが、その溝畑さんの口から雅也の話が出た事を教えてくれた。ただそれを伝えるためだけに電話してくれた。 |
伝説に 雅也は悪性リンパ腫だった。大分でも治療を受けていたが、臍帯血移植を受ける事になったという。その治療のために東京に移送されて移植を待つ状態だった。 かっこつけしぃだった雅也は、Mさんに「絶対に治るからそれまでは入院の事は言わないでくれ」と話していたという。 いらんかっこつけやがって。 4月にマリノス戦を取材しに帰った時に、たまたま、病状が安定した雅也の病室を訪ねる機会があった。顔を見せると、照れくさそうな笑顔になった。ベッドに寝ている自分の姿を見られるのがイヤだったのだろう。もちろん絶対に治るという自信がその心情の根底にあるのは間違いない。 悪性リンパ腫というのは、わりと完治しやすい病気だという。そういう情報を雅也も知っていたのだろう。絶対に治るんだという言葉は、病気の性質を理解しての事だったはず。 ただ、雅也が闘った相手はどうしようもなく強かった。 酸素マスクをつけながら病気と闘っていた雅也は、適合する臍帯血が見つかり、移植手術をするまさにその当日に、息を引き取った。 梅田が絞り出すようにつぶやく言葉が忘れられない。 「もうちょっと、なにかうまくできなかったんですかね」 もちろんご遺族が何もしなかったのではないかと批判している訳ではない。それは親友を失った友の、心からの叫びだった。 「なんか、信じられないんですよね。まだ全然実感がなくて、ふっと姿を現しそうで。だから、なんとかならなかったのかなって、思うんですよね」 死者が一番怖がるのは忘れられてしまう事。だから、それくらいがちょうどいいのかもしれない。ふと気がつくと、そこにいるような、そんな感覚。 雅也はみんなの心の中で生きていく。そう、大分トリニータと、共に。 |
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