川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

ちょっとテスト

11月3日は晴天の特異日

惜別。

積み上がっていた本の山が消え失せ、がらんとした部屋を何気なく眺めていた。

14年前。居候していた四谷の、寝るだけのスペースしかない部屋から引っ越してきた時の思い出がよみがえってきた。とにかく東京での一人暮らしがうれしかった。6畳と3畳ほどの台所が付いていてそれなりに広い部屋だった。まだ荷物も少なくて、のびのびと使えた。

家賃も安く、大家さんもいい方で(フリーになりたてで収入が無い時期に、家賃を半年滞納しても待ってくれた。もちろん大家さんにしてみれば迷惑極まりない住人だっただろうけど)、当面引っ越すつもりはなかった。

ある日部屋を出ると大家さんが屋根を見上げて誰かと話し込んでいた。見ると屋根に穴が空いていた。補修ではなく取り壊し。引っ越しが決定した。ぼくの場合、引っ越しの条件はシンプルで本が置けるスペースとスカパー!のチューナーが取り付けられる日当たりの良さ。その条件で探してもらったが、大家さんが管理する物件にその条件を満たすものはなく、昨年中に引っ越してほしいという大家さんからの要請はズルズルと延びて、結局2月までずれ込んだのである。

そんな中で引っ越しが14日になったのは本当に偶然だった。アメリカに行く気満々だったので帰国便のことを考えれば12日以降でなければ引っ越しはできないという状況であり、さらには大安だったということでちょうどよかったのである。1ヶ月以上前にこの日は確定できていた。

諸事情でアメリカ行きをキャンセルし、宮崎合宿取材中に富樫さんの訃報を目にする。目が点、とはこのことだと思った。しばし呆然。その後、お通夜は15日で告別式は16日だと発表された。偶然というか、必然というか。それもこれも運命なのだろうけど。

たぶんその他のライターさんだったらそうは思わないのだろうが、いつも笑顔だった富樫さんを見送るその場の空気に触れたくて、斎場に足を運んだ。サポーターにも告知されたこともあって多くの方が弔問に訪れていたが、知り合いの横浜FCライターさんを見かけて話しかけたら、声を押し殺して泣いていた。

「富樫さんは横浜FCの株主さんでね。J2のクラブなのによく見に来てくれました」と言葉を絞り出した。

いつだったか、いつも三ツ沢で見かける富樫さんに聞いたことがあった。

「よく来られてますね」

その時の答えを、ふと思い出した。横浜FCというクラブがフリューゲルス消滅という悲劇から生まれたクラブなのは周知の事実だが、日本中の多くのサッカーファンが、クラブの立ち上げに賛同し、手をさしのべた。そして富樫さんもその中の一人だったのである。自分が関わったクラブの成長を見るのはさぞかし楽しかった事だろう。ただ、それはもうかなわない事になってしまった。そんな事を思っていたら切なくなってちょっとだけ泣いた。

帰りがけにアフリカ選手権を取材してきたという知り合いのライターに話を聞いたが、決勝戦の試合前に、選手が整列した場面で30秒くらいの何もしない空白の時間があったという。記者に対して配られたペーパーによると、取材中に亡くなった日本のジャーナリストのために黙祷を捧げる、との記述があったらしい。アフリカ的おおらかさによって、決してそれは周知徹底されていたわけではなかったと言うが、そこまでしてもらえれば富樫さんも悪い気はしなかったんじゃないかと思う。知り合いにそういう事も含めて富樫さんとの思い出を書き残すべきだと話したが、いろいろあって難しいようだ。

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以下余談。

供花者名にはそうそうたる名前が並んでいたが、その中に大分FCの職員一同と、それとは別にHさんの個人名も掲げられていた。前にも書いたが、富樫さんはまだ大分ができたての頃に深く関わってくれた方だった。大分というクラブは、経営に関しては素人に毛が生えた程度だが、人の生き死にには特別敏感な気がする。

昨年、難病を患っていた彩花ちゃんという女の子を救おう、という動きがサッカー界に広がった事があった。あの運動の事務局で広報をされていた方が、ある日の埼玉スタジアムで、ぼくを見つけるなり「大分は本当にありがたいね」と話しかけてきてくれた。話を詳しく聞くと、彩花ちゃんの一件を公表すると、どこのクラブよりも早く「協力したい」旨の連絡を入れてきたのだという。

「大分には加藤くんという前例があるからなのかな」とその方は言われていたが、もし雅也の一件が大分のそうした姿勢の背景にあるのであれば、彼の死はムダではなかった事になる。その勢いで、経営も、仕事ももっとがんばってほしいところ。現場はずいぶんと良くなってきたようだし、天国の富樫さんに佐伯で1000人くらいでサッカーやってたチームが優勝する姿を見せたいじゃない。

セピア色の吉田孝行。

 つい最近、ようやく引っ越し先が決まった。数ある物件の中から条件にあうものをピックアップして内見し、部屋の内部を確認しつつ騒音やら日当たりといった周辺の環境も考慮する。本当に面倒な作業だった。ただ、決まったのは部屋であり、引越しそのものはこれから始まる。業者の選定に始まり、引越し本番。そして住所変更に伴う諸手続きが控えている。引越し程度のイベントであったとしても、生活環境を変えるということの負荷は高い。そう考えると、プロサッカー選手が職場を変えることの負荷の高さは尋常ではないだろうということは容易に想像がつく。

 われらが吉田孝行が、古巣(横浜FM)への復帰を決断した。その昔、大分に来た理由を聞いたとき、こんなことを話してくれたことがあった。

「(2000年に)ファーストステージで優勝した時、試合後にチームメイトとスーツ姿で記念撮影したんですがそのときに『なにやってるんだろう』って思った」と。

 すでに試合のメンバーから外されて久しく、ステージ優勝によって現監督の残留は決定的になっていた。もちろん試合に出るための努力は重ねていた。ただ、それでも試合出場のための壁は高かった。フリューゲルスの消滅によって移籍して2年目。とにかく「試合に出たかった」のだ。

 大分へ移籍すると、瞬く間に輝きを見せた吉田だったが、そんな吉田が犬飼の、スターレンスハウスができる以前の、水道しかない練習場で練習する姿はある意味衝撃的なものだった。ただ、彼はその環境を受け入れていた。目指すべき夢があったから。

「何もないのはわかっている。ただ、ここで成績を残すことで新しい物を手に入れる喜びがある」

 そんな言葉を体現するように 端正な顔立ちには似合わない泥臭い仕事を黙々とこなした。攻撃的な役割はもちろん、危機の芽を察知して守備の局面でも激しく動き回った。だからといって驚異的なスタミナがあった、というわけでもない。ペース配分を無視し、「動けなくなったら、代えてもらう」というスタンスで、チームのために動き回った。

 94年に設立された大分は、99年のJ2加入を契機に一足飛びに周辺設備を整えていった。ビッグアイが完成し、天然芝3面に人工芝1面。そしてクラブハウスといういっぱしのクラブへと成長した。クラブの施設が公金を含めて充実することに対して一切の批判がなかったわけではない。ただ、それに対する正当性は、チームが残した成績にあった。

 02年に昇格を決めたシーズンの、吉田とアンドラジーニャとのコンビネーションは鮮烈で、あのシーズンを含めて、吉田がいたからこそ大分は今の施設を手にしたともいえる。そういう意味で、99年以降の大分にとって、吉田という選手は象徴的な存在だった。彼が流した汗は、嘘をつかなかった。

 シャムスカ監督体制下では出場停止を除いて全試合で先発出場。大分の快進撃は彼の献身的な働きによるところが大きく、また、来季の先発メンバーの座もかなりの確率で揺るぐことはなさそうだった。そんな吉田にとって移籍という選択は非常に苦しいものだった。大分で行われた移籍会見では「あえて厳しい道を選び、自分一人で決めた。家族にもサポーターにも迷惑をかけた」と明かし、大分に対する深い思いが涙になった。

 試合を求めて大分に移籍し、そして「自分の中で少しでもレベルの高いところで、代表レベルの選手と競い合ってレギュラー争いをしたいという気持ちがあり、移籍を決断しました」と横浜への移籍を説明した。

 吉田のコメントを読み返すと、吉田が求めていたのはチームの雰囲気だとか、給料だとかではないことがわかる。ただただ彼は、ビッグクラブに行きたかったのである。経営の安定したビッグクラブに行きたかったのである。その思いは、チーム消滅の話を聞いて食事をもどした繊細さ(横浜フリューゲルス時代)や、去年大分が露呈したクラブ経営のずさんさと、はっきりとリンクしている。

 正直に言って、今季の大分が目指そうとするチーム像がわからない。絶対的なストライカーを放出し、あらゆる意味で精神的支柱となっていた選手までも手放ししてしまった。今オフになされたチーム編成には大いなる疑問符をつけざるを得ない。ただ、若い選手を使いこなす手腕に長けているというシャムスカ監督にとって、今季のチーム編成は満足のいくものなのかもしれないし、監督のオーダーがあったのかもしれない。ただ、それにしても吉田の放出は、悲しい。金銭的な損得勘定を抜きにした、もっと大事な感情がそこにはあるのではないかと、そう、思ってしまう。

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 お父さんに連れられて見に行った西が丘での横浜FC戦で、吉田のゴールを見て、ずっと「すげー! すげー!」と言い続けた少年は、地元Jクラブの難関の下部組織セレクションに合格した。吉田のゴールが、一人の少年の人生に大いなる刺激を与えた。

 振り返るといろいろな場面を思い出すが、00年に加入直後の加賀見健介からの、意外性あふれるパスを受け、竹村へのラストパスを決めた仙台戦が真っ先に思い浮かんだ。もちろん原色の記憶も現れるが、セピア色になりかけた記憶の中でも吉田は躍動している。だからこそ、悲しい。この移籍が、悲しい。彼の大分サポーターへの「ありがとう。ありがとう。本当に、ありがとう」というメッセージが、とにかく悲しい。

 ただ、移籍という事実は動かしようがない事実であり、それはもう決定事項となった。吉田には新天地でも、がんばってほしい。そして大分戦では元気な姿を見せてほしい。そのときはサポーターは、愛情満載のブーイングで出迎えてほしいと思う。常々「だめなときはブーイングしてほしい」と口にしていた吉田のことだ。大分サポーターをあきらめさせつつも、うならせる最高のパフォーマンスを見せてくれるに違いない。それじゃだめだけど、1年くらいはまあ、許容範囲内かな。

 とにかく、がんばって。吉田クン。

加藤雅也:夭逝

はじまり
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唐突な知らせ
人間、驚きに接すると眠気も吹っ飛ぶものである。
そういう情報は知っていたが、まさか自分がそのリアクションをするとは思わなかった。着信履歴に残っていた時刻は8月3日午前9時1分。前日のハードなスケジュールの影響で寝ぼけていた意識が、一瞬でクリアになった。
電話の主は、冷静な口調で仲間の死を告げていた。

99年最終戦のまーくん
99年最終戦の試合前のまーくん。

出会い

はじめて会った日の事は覚えていないが、99年の大分でのホームゲームだった事は間違いない。当時まだ3000人入れば御の字だった大分のホームゲームで、声を出して太鼓を叩いて声援を送る人数は50人に満たなかった。そういう環境の中で、濃いところの人間とコンタクトをとり続けていけば、彼に行き当たるのはそう難しい事ではなかった。
開門前の列が100人に満たない市営陸上競技場の照明灯の台座の所に腰掛けて、話をしてた事を思い出す。


考える時間
電話の主は、雅也が東京の病院で亡くなったと教えてくれた。前日の取材が長引き、終電に乗り遅れたぼくは熊本の荒尾という町にいた。予定通り博多へ移動できていれば、電話をもらった時点で福岡空港へ向かったはずだ。
なぜならば、荒尾で電話をもらった直後から、即座に東京に帰る事を考えたからだ。
今から東京に帰れば病院で彼に会えるはず。
そんな事を考えながら乗り込んだ博多への特急電車の中で、1人になったとたんに涙が出てきた。この状況で1人でいるのは精神的に厳しかった。
電話をもらった直後から考えていた、東京に一刻も早く帰ろうという思いは、博多への1時間あまりの1人の時間の間に大分へ帰るべきだと思い直すようになる。
何もかもが整ったこの状況は偶然ではないはず。kaz家からも「帰るなら帰ってこいや」という話をしてもらっており、大分へ帰る事にした。
大分でMさんと合流して知り合いに訃報を連絡し、ちょうど買おうと思っていた数珠を仏具屋で購入。その後kaz家へ。1人では精神的にやばい状況だったが、そんな事お構いなしの3歳児の相手をすることで気が紛れたのは事実である。


職人魂
アジアカップ準決勝を見終えたくらいのタイミングで、不在着信のT局のSくんから折り返しの電話が入る。
「もしかして、という気はしていたんですが、番組の本番前にその話を聞いてしまったら原稿を読んでいる最中に泣いてしまいそうだったので…」
と彼は話していた。声にはハリがなく、ショックの大きさが伺えた。
3日の夜に石崎さんから電話が入る。人づてに今回の件を聞いたんだそうだ。大分で2年半を過ごした石崎さんにとってもゴール裏サポーターの代表の死は大きな意味があった。
その電話で、弔電と花の手配の打ち合わせをした。
その後某国営放送の元大分担当者で、現在は関東の支局に勤務するTさんから着電。直接話をするのは去年のアウェイでの鹿島戦以来だろうか。葬儀当日には、弔電が届けられていた。




通夜
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大きな規模の祭壇
     立派に飾り付けられた祭壇。
通夜当日
通夜当日。
葬儀場へ行くと、すでに多くの顔見知りが集まってたが、中にはTORCIDAの代表も含めたメンバーも。少なくとも、サポーターグループの幹部同士には感情的なしこりは残っていない。
祭壇は立派な飾りが施されていて、石崎さんの花も届けられていた。
通夜という事で多くの参列者を集めたが、家族の次に、多くの時間を過ごしていたサポーター仲間の表情は悲痛なものだった。



花
石崎さんの花と並んで水沼さんの花が。水沼さんは、大分がまだ市営陸上競技場で試合をしていた頃から雅也の事を取材していた。
一般の参列者の方々がはけた後、喪主のお父さんがサポーターだけを呼んでくれて顔を見せてくれた。この時に大きな「マサヤ」コールを送る。
式を終えて入り口で立っていたら某国営放送のSくんが姿を見せる。Nさんもいた。原稿を読む時に泣きそうで確かめられなかったと電話してきたSくんも。
さらに某国営放送のNくんも姿を現す。大分のマスコミのスポーツ担当者は総動員の様相を呈してきた。

ありがとう
「ありがとう」のメッセージが入ったユニフォーム。写真は、J2優勝を決めた2002年の川崎戦のときのものらしい。

涙腺崩壊

通夜には大分トリニータを代表して3名の選手が参列した。三木、瀬戸、そしてプライベートでも親交のあった梅田だ。彼らは選手会で集めた香典を持ってきており、さらに受付でご遺族にと出したのが、このユニフォームだった。
そのユニフォームを受け取ったMさんは、即座に涙腺を破壊され、巨体をふるわせて泣いたという。
ユニフォームには
「ありがとう」
という言葉が入っていた。
サポーターと選手の関係というのはよくわからない所がある。インタビューでサポーターに感謝の言葉を口にする選手は多いが、それが本心からの言葉なのかはわからない。また、サポーターたちも選手たちに心の底からの感謝の気持ちを求めていたりはしていなかったりする。
男の世界にありがちな、お互いにドライな関係で満足しているのである。ところがこのメッセージは、直接的にウエットな領域の感情を刺激した。経験上、涙腺が破壊されるのも納得できる。

打ち合わせ
打ち合わせ。

打ち合わせ

通夜を終えてとある居酒屋へ。彼をどういう形で送れるのか、打ち合わせる。
仕事の都合でkazくんが送れて参加。この席で、見送りの時に歌う歌詞や、斎場にお願いするコースなどがまとまった。




告別式
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告別式当日
      告別式当日。
告別式
ご遺族、斎場との打ち合わせの結果、告別式を終えた後、火葬場に向かう途中にビッグアイに寄ってもらえる事になっていた。彼が愛したチームのホームスタジアムの前で、彼とともに戦った仲間たちと彼を送り出せる事となった。
そんな話をしていると、ふと霊柩車の運転手さんが会話に入ってきた。
彼は一切の私心を排除した口調で
「私はゆっくりと走りますから、みなさんはどんどん追い越していってください」
と言ってくれた。
「よりよい形で死者を送り出したい」という彼の職人としての気持ちがヒシヒシと伝わってきた。雅也はいろんな立場の人たちの、心からの追悼の気持ちを受けていた。
入り口に立っていたら、某国営放送の前大分担当のNさんが姿を現す。すでに大分からは異動になっているのだが、彼にお世話になったという事でわざわざ休暇を取って来たのだという。
このタイミングで、某TV局の知り合いから電話が入る。「ビッグアイでの追悼の場面を取材したいのだが」との事だった。
本来はそういう問い合わせに答える立場にはないのだが、サポーターの気持ちを伝えたくて、詳しい情報を伝えた。取材クルーは直接ビッグアイに向かうそうだ。
同じくらいのタイミングで、同じTV局のYアナから着電。今日になってようやく雅也の死を知ったという。これから会議があってどうしても式には出席できないという内容だった。それはそれで仕方ない。連絡すれば良かったとしばし後悔。
Nさんと席に着くと、すぐそばにO局のNさんが座る。神妙な顔つきだ。

涙のお別れ
涙のお別れ。

男前

告別式で一番男前だったのは、友人のIさんだろう。友人を代表して読み上げた弔辞はすばらしかった。自分が同じ立場に立ったら確実に泣き崩れるという場面で、こみ上げてくる感情を押し殺し立派に大役を全うしていた。ただ、それでも時折漏れる涙声が、感情を揺さぶった。
式の前に見た時には平静を保っていたように見えた奥さんは、焼香の時に見ると泣き崩れていた。たぶん、自分の夫に対して尽くされる、出席者が見せた「礼」に心が揺さぶられたんだろうと思う。目の前で自分の夫のために涙を流す人を見て、冷静でいられるほど人は強くない。
告別式が終わったタイミングでサポーターが呼ばれた。ご遺族のみなさんとともに花を棺に入れさせてくれるという。ご家族の厚意に感謝しつつ石崎さんが送った花から花を一輪手向ける。
改めて彼の顔をじっくり見せてもらったが、前日ちらっと見た時とは全く違う表情だった。穏やかな顔をしているとばかり思っていたが、実際は苦しげな表情を浮かべ、口のまわりには酸素マスクの後がくっきりと残っていた。
今思い出そうとしても彼の苦しげな表情は思い出せない。苦しげな表情をしていたという事は覚えているのだが、ではどんな顔だったのかというと、穏やかな顔しか浮かんでこないのだ。もちろん無理に思い出す必要はないから、それはそれでいいと思っている。

ビッグアイへ

霊柩車に乗せられる時、まわりを取り囲んだ数十人のサポーターが大声でマサヤコールを送り、その声に送られて彼は斎場を後にした。
即座に数十人のサポーターは自分の車を目指して走り出した。雅也がビッグアイにつくまでに追いつかなければならない。
高速で追いついた雅也の車は、運転手さんの言葉通りゆっくりと進んでいた。付き従った何台もの車は親族のものだ。そうやってビッグアイにたどり着くとすでに多くの仲間が集まっているところだった。
O局のMさんもすでにそこにいた。
簡単に言葉を交わしたが、神妙な表情が印象的だった。




ビッグアイ葬
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ビッグアイ葬
ビッグアイで送り出す。持っているダンマクは雅也が作ったものだ。この日は青色が印象的だった。

原色のビッグアイ

今思えば、この日の気候は特異だったような気がする。
空から降り注ぐ日差しは強烈で、その日差しに照らされた地上のもの全てが、自分の持つ色を搾り取られるように、くっきりと自身の色彩を放出していた。
それでいて空の青さは優しさを帯びていて、思い出すその風景の半分がその青色で埋め尽くされていた。
色彩を深く掘り起こす強烈な日差しの中にあって、空気は決して重たくなかった。撫でるように通り過ぎていく風が、厳しい日差しを和らげていたのかもしれない。
照りつける太陽の下、ぼくらが見つめる視線の先には、無味乾燥の道路が見えていた。深い色彩と強烈な日差し。
静寂が陽炎の中で揺れていた。
kaz家の車がビッグアイに着いた時とほぼ同じタイミングで、坂の下から雅也を乗せた車がその姿を現した。

サポーターらしく最後は歌で見送る
サポーターらしく最後は歌で見送る。

お別れコール

事前に、歌詞が印刷された紙が配られていた。
俺たちと共に闘った仲間
ずっと忘れない
お前の心 お前の魂
俺たちと共に 明日へ
(翼をくださいのメロディー)
歌い出しで、突然涙腺が崩壊した。
顔を覆ってしばらく泣いた。
なんとか声を絞り出していたが、たぶんまともな声にはなっていなかった。もちろん音程なんてとんでもない、という状況だった。

霊柩車の中から軽く頭を下げる純子さん
霊柩車の中から軽く頭を下げる純子さん。

さらにどん

一通り歌い終わったところで「マサヤ」コール。そしてそこで終わらないのが大分サポーター。
すぐに「ジュンコ」コールが始まる。ここでまた涙腺崩壊。自分でもよくわからない。さらに続けて「アオト」コール。
一連の儀式を終えると、喪主のお父さんが車の前に立った。そして心の底からの「ありがとう」の言葉と共に頭を下げた。
お父さんは告別式の時に碧人について言及していた。
「碧人は成人するまで責任を持って育てます」
改めてその言葉を聞いて、なんだか安心した。



加藤雅也追悼試合
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J1-2ndステージ開幕戦 大分vs磐田

しばらく悩んだのだが、この試合を自分が取材しないで誰がやるのか、という気持ちで取材を志願した。完全な個人的理由のため、金銭的な迷惑は一切かけないという前提でお願いした。
もちろん編集部に迷惑はかけられないので、J2の取材に穴が開くような事はできない。いろんな可能性を追求したが、翌日の川崎vs福岡の取材に支障が出ない移動ができる事を確認しての事だ。
それだけの事をしてでも取材したかったんだ、という思いは半分だけは通じた。しかし、残りの半分はわかってもらえなかった。大分が強くなって、自分も強く成らなきゃダメだという事だろうね。

試合前

前日に大分入りしたぼくは、11時過ぎにkaz家の奥さんにピックアップしてもらった。
車中で奥さんからkazくんの話を聞く。試合は19時から。どうしても仕事をはずせなかったkazくんは当初この日の参戦を断念していたのだが、ハッピを取りに行った直樹くんが「前半だけでも行けるんじゃないんですか」とカマをかけたらしい。そんな直樹くんに対して奥さんも特に反対せず。結局前半が終わった直後に出れば間に合うだろう、という事でその場で参戦が決まったとの事。まあ、他の試合であればそんな無理は言わないのだけど、この試合だけは意味が違うからね。


似顔絵の入ったゲーフラ
似顔絵の入ったゲーフラ。
ゲーフラ
似顔絵の入ったゲーフラにみんなで寄せ書きしているところ。多少デフォルメされて可愛くなっているのがシャクである(笑)。
ちなみにこの写真も入稿しましたが、掲載はされませんでした。

ダンマク制作中
ダンマク制作中。


ダンマク職人

大分サポーターのスプレーの技術はかなりのものがある。どうやらその筋でブイブイ言わせてきたらしい。これはビッグアイで雅也を送り出した時に歌った歌詞です。


残されたもの
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寄せ書き
寄せ書き。
たくさんの人の弔意
寄せ書きをお願いすると、ゴール裏の住人は次々にペンを手に言葉を書き込んでいった。
中央に立てかけられた紙には、雅也の死について書かれている。この一角を訪れてはじめて「えっ、あの方亡くなったの?」とショックを受ける人もいた。
考えてみれば、今年に入ってゴール裏から姿を消していた訳で、多くの人はその理由をこの日理解する事となった。

いつもの場所に置かれたタイコと花束
いつもの場所に置かれたタイコと花束。

いつもの場所に

いつも雅也がいた場所にタイコとレプリカが飾られた。花は生前仲の良かった女の子たちが持ってきたものだ。
タイコ打ちだった雅也は、後輩のタイコにいつも注文をつけていたという。
いつもダメだしされていたというSくんは「闘病中に観戦に来た新潟戦のタイコをほめてもらった」と懐かしがったが、「いつか抜いてやろうと思っていたのに結局追いつけないまま向こうに逝ってしまった。これで一生追いつけないですよ」と肩を落とした。
今でも試合前のゴール裏にいると、フラフラっと姿を現しそうだと誰もが口をそろえる。まだ死そのものが信じられないというSくんは「突然電話がかかってきていつものあの声で『もっとちゃんとやらんかえ』って言われるんじゃないかって思うんですよね」と話していた。
この日。ご遺族がはじめてゴール裏で観戦した。
その話を聞いた時、ふと思った。碧人がお父さんが立っていた場所に立った時何を思うのか。真っ青に染まったゴール裏を見上げた時、どんな事が頭に浮かぶのか。そんな話をしていたら、Tさんが「泣きそうや」と逃げ出した。
ピッチ内練習が始まり選手たちが姿を現す。
その選手の中の梅田と瀬戸の手には花束があった。彼らはその花束を手に、ゴール裏の前までやってきて手向けた。
梅田は試合前に「勝ちたいから気負わずに行きます」と話していた。もちろん雅也に勝利を捧げたいという思いからだ。
試合はサポーターの希望を乗せて先制するという展開に持ち込むが、残念な事にリードを守れず引き分けに終わってしまった。勝ちたかったという梅田が試合後に話してくれた言葉が印象的だった。


Q:加藤くんの死については?いい試合をさせてくれたと思います。
Q:選手の気持ちを盛り上げたと言う意味で?
そうですね。勝ちたかった、というよりも「そんなに甘くないよ」って向こうで言ってるような気がします。彼を満足させられるよう、次からもがんばります
雅也の件についてぼくは全く伝えられなかったのだが、一つだけ、サッカーダイジェストのマッチレポートが言及している。気になる人は4004.8.31付けのNo.743号のp.113を参照してみてください。
そんな訳で、担当者のIさんにサポーターからのお礼の言葉を伝えると「江藤さんがそういう話をしているのを聞けたので」と言ってくれた。大分に帰ったのは全く無意味ではなかったようだ。



加藤雅也追悼試合
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J1-2ndステージ第2節 横浜FMvs大分

前回のホームでの磐田戦に引き続き、2ndステージのアウェイ初戦となるこの横浜FM戦は追悼試合として位置づけられていた。ただ、この試合を取材できるとは考えていなかった。そんな中、編集部から電話が入る。
「次の試合は水戸でいい?」
特に断る理由もない。横浜国際に行けないのであればどこに行っても同じである。イヤだといっても変わる訳でもないし、そもそも指示された取材地を断った事はない。自分の希望を伝える事はあったが、それもJ2を優先しての事だったから、J1とJ2の試合日が重複しているこの節に横浜に行けないのは確定していた。
編集部は恐縮しているような口ぶりだが、水戸も行けばおもしろいので気持ちをそちらに向かって盛り上げていった。
状況が突然変わった。
首都圏のライターさんが軒並みアテネに出ていて、J1を書ける人がいないとの事。横浜に行ける人はいないか、と電話が来た。表にも書いたが、水戸の対戦相手がたまたま鳥栖だった事で大どんでん返しが起きた。
奇跡的な事だと思った。奇跡ってヤツは本当にこの世に存在するんだと思った。

ピッチ遠すぎ
お蔵入りとなったピッチ遠すぎダンマク。

お蔵入り

横浜FMサポーターと大分のコアサポは、直接面識はないという。それでもビッグアイに掲げられた「大分遠すぎ」のダンマクに対して「けが人多すぎ」というダンマクを掲げて以来、何かやらなきゃ、という思いがあったりするという。
そんな訳で、今回大分サポーターは「横国ピッチ遠すぎ」というダンマクを用意していた。追悼試合と位置づけられたこの試合には、掲示するダンマクの数を限定する事が試合前に告げられていた。そんな訳でこのダンマクはお蔵入りに。
ちなみにネット上で騒がれた「火をつけてやる」発言もあって「大分遠すぎ」ダンマクを微妙に修正した「大分すき」というダンマクが大分ゴール裏に用意されていたという。しかし担当者が事情を話すとえらい恐縮して外してくれたとの事。こういう話を聞くと、ホッとする。

雅也が作ったダンマクと共に
雅也が作ったダンマクと共に。

イメージ

「もう、イメージはできあがってるんだよね。梅田が目の前でゴールを決めて、そして空を指さすんだよ。泣くね」
Mさんの言葉を聞いて、フォエが亡くなった時のカメルーン代表や、ネルソン吉村さんが亡くなられた直後のC大阪を思い出した。確かにその光景を見たいと思った。
現実は、そう甘くはなかった。


後日談
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エピローグ

加藤家は雅也と大分トリニータとの深く強い絆を実感しこれからのホームゲームにおいて20席の客席を継続して購入。それを「雅也シート」として子供たちに提供するという。
連絡が回らずに、葬儀に出席できなかったYくんは「お盆になにかあるのであればぜひ」と話していたが、加藤家はまだ日が浅いという事でお盆の行事は行わない事になったという。ただし、自宅まで来られるのであれば、ぜひ仏壇に手を合わせてください、という話を伝えた。
Yくんは「それで十分です」と言っていた。
ビッグアイでの別れの儀式を取材していたO局が、ローカルニュースで雅也の死を関連付けて磐田戦を伝えたという。サポーターが特別な思いで試合に臨んでいた事。ビッグアイでの儀式。そして涙。
そういう様子が、ちゃんと伝えられたという。もちろん相手は磐田でやりがいのある相手だが、その試合の裏に込められた特別な思いが十分に伝わる映像だったという。心からの感謝を述べたいと思う。
27日の夜。突然T局のSくんから電話が入る。溝畑さんの社長就任会見に出たという。ニュースでは伝えられなかったが、その溝畑さんの口から雅也の話が出た事を教えてくれた。ただそれを伝えるためだけに電話してくれた。

伝説
伝説。

伝説に

雅也は悪性リンパ腫だった。大分でも治療を受けていたが、臍帯血移植を受ける事になったという。その治療のために東京に移送されて移植を待つ状態だった。
かっこつけしぃだった雅也は、Mさんに「絶対に治るからそれまでは入院の事は言わないでくれ」と話していたという。
いらんかっこつけやがって。
4月にマリノス戦を取材しに帰った時に、たまたま、病状が安定した雅也の病室を訪ねる機会があった。顔を見せると、照れくさそうな笑顔になった。ベッドに寝ている自分の姿を見られるのがイヤだったのだろう。もちろん絶対に治るという自信がその心情の根底にあるのは間違いない。
悪性リンパ腫というのは、わりと完治しやすい病気だという。そういう情報を雅也も知っていたのだろう。絶対に治るんだという言葉は、病気の性質を理解しての事だったはず。
ただ、雅也が闘った相手はどうしようもなく強かった。
酸素マスクをつけながら病気と闘っていた雅也は、適合する臍帯血が見つかり、移植手術をするまさにその当日に、息を引き取った。
梅田が絞り出すようにつぶやく言葉が忘れられない。
「もうちょっと、なにかうまくできなかったんですかね」
もちろんご遺族が何もしなかったのではないかと批判している訳ではない。それは親友を失った友の、心からの叫びだった。
「なんか、信じられないんですよね。まだ全然実感がなくて、ふっと姿を現しそうで。だから、なんとかならなかったのかなって、思うんですよね」
死者が一番怖がるのは忘れられてしまう事。だから、それくらいがちょうどいいのかもしれない。ふと気がつくと、そこにいるような、そんな感覚。
雅也はみんなの心の中で生きていく。
そう、大分トリニータと、共に。




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キャンプは沖縄で

ニュースコラム

キャンプは沖縄で

by ETOH Takashi 2001.12.30



仕事関係で聞いた話によると

今年のキャンプは沖縄らしい。



貧乏なんだか、バブリーなんだかわからない(笑)。



まあ、それはさておいて、そのあおりを食って

イヤーブックの選手紹介の仕事が全部すっ飛んでしまった。

チーム沿革をまとめるという

冒頭の8ページだけはやらせてもらえるそうだけど。



それにしても、帰る気まんまんでスケジュールを組んでいたのでこれから関係各所に「東京に残留します」案内を流さねば。

いろいろ理由があるのはわかるけど、もうちょっと早く教えてほしかった…。



という事で、取材で大分に帰った時にでも

魚民真っ青プロジェクト第二段

として、新年会でもやろうと思っていたんですが

できなくなりました。

うーむ、残念。



延岡、行きたかったなぁ。

東京→大分ホットライン

ニュースコラム
東京→大分ホットライン
by ETOH Takashi 2001.12.15

いやー、驚いた。
何がって、あのサンドロですよ。

今年J1だめだったから
来年はもう大分はだめかなと思っていたら
サンドロ獲得ですよ。
驚きです。

とにかくサンドロには
大分コテコテにやられた記憶しかない。

ヘディング強くて、放りこんだボールをことごとくはじき返してた印象があります。
そういう、局面の強さもさる事ながら
バリバリの4バック実践者というのもありがたい。

何しろ、今年の大分は3バックから4バックへと変更した事で
適任のセンターバックがいなくて苦戦しました。
それが、彼の加入によって
4バックへの対応にめどが立ったわけです。
これは大きい。

大分の2001年シーズンは、試合展開では圧倒しておきながら、簡単なディフェンスのミスで落とした試合がいくつもありました。
組織で上回っていながらも、個のミスで試合を落とすという試合が少なくなかった。
サンドロの加入は、そうしたケアレスミス的な失点を無くす効果があると思われます。

2000年の加賀見に続いて、東京→大分の強烈なホットラインが炸裂です。

いやー、それにしてもなんでだろう?
原さん4バックだったっていうし(ソースはレッズサポ)、サンドロいて悪くないと思うんだけどなぁ。

何で来たんだろう?
温泉? 豊後牛? 都町(爆)?←ダメじゃん。

我が家にW杯がやって来る。

ニュースコラム
我が家にW杯がやって来る。
by ETOH Takashi 2001.12.12

当方、三十路リーチホヤホヤのいいおっさんであるが、本日2次販売にて6月2日のイングランド×スウェーデンをゲット。
いやー、マジ感激したッス。

現在、マスターカードが10,000円ごとに1口、観戦チケットの懸賞に応募する権利を付けているので、支払いをマスターカードで行おうと思ったのだが、どこをひっくり返してもカードが出てこない。

しばしオペレーターさんに待ってもらって探し続けたのだが、結局見つからず現金で支払う事に。
それはまあ、いいや。
とにかく、ようやく一枚チケットを確保できてホクホクである。

いや、もちろんホクホクです。
ホクホクなんだけど1試合だけじゃ、やっぱまずいんだよなぁ。
ライターの端くれとしては…。

すっげー、いい雰囲気。

ニュースコラム

すっげー、いい雰囲気。

by ETOH Takashi 2001.11.21





別に、恋をした高校生が、片想いの女の子と話が弾んだ事を報告しているわけではない。



鳥栖スタジアムでの大分の応援である。



いやー、最高やったね。

専用スタジアムだったという事もあるとは思うけど、大分の応援を見てきた中で最高の応援でした。

このコラムでも書きましたが、後半の途中からはゴール裏1回席のほとんどの人が立ち上がっての応援。

http://www.isize.com/sports/football/column/etoh_C20011120002.html

なんか、そこまでして応援しているみんなの姿を見る事ができて、しびれました。ちょっとだけ涙腺が緩みかけたくらい。

試合が白熱していた事もあってさすがに泣けなかったけど。



たぶん、あの試合を応援していた多くの大分側の観客はもう一度スタジアムに足を運ぶんじゃないかと思います。

それくらい良かった。

それくらい、サポーターが醸し出すスタジアムの雰囲気は集客の面でも意味があります。



チームの経営上の大問題です。

来期に向けて

ニュースコラム

来期に向けて

by ETOH Takashi 2001.11.13





鳥栖戦に向けて練習をするトップチームの側で、違うジャージを着た選手もちらほらと見られました。

一人、えらい足の速い選手がいました。一芸に秀でているという点では、興味をそそる人材です。

この週末に、トップチームはサッカー人生をかけた戦いに赴きますが、その一方でチームは来期以降に向けて着実に動いていますね。ひとまずは安心しました。

大分恒例秋の風物詩

ニュースコラム
大分恒例秋の風物詩
by ETOH Takashi 2001.11.11

「早く楽にして」
という思いの一方で
「もしかしたら」
という気持ちの間を行き来してきたこの一ヶ月。
上位陣との直接対決での圧倒的な勝負弱さの中で、何度も味わった絶望感。
それでも最後まで可能性を残してきたのは、下位に取りこぼさないという当たり前のようでむずかしいことを、ある程度徹底できたから。冗談みたいな状態が続くが、一応裏付けはあったりするわけである。

大分の今季最終戦は鳥栖スタジアムで行われる鳥栖戦。陸上トラックの存在するスタジアムしか持たない大分にとって、選手の息づかいを目の前で感じられるこの専用スタジアムでの最終戦は、よかったのかもしれない。
サッカーの醍醐味、サッカーの美しさを堪能しよう。
そして、笑いたいね。

見届けちゃる

ニュースコラム

見届けちゃる

by ETOH Takashi 2001.11.10



親愛なる大分トリニータ様。



今年もいよいよ最後の舞台にたどり着きましたね。

いや、実際は最後の舞台に立つことも許されていないような状況ですね。

でも、可能性自体は残っています。不思議なものです。



いろいろな人から、

「湘南に行きましょう」とか「仙台がいいですよ」

と誘われました。でも、断りました。



確かに湘南に行けば京都の昇格の瞬間を見ることができるかもしれない。

仙台に行けば、またあのすばらしい応援を体感できるのは間違いない。

でも、そういう事はわかっていても、やっぱり大分に帰ってしまうんですよね。



なぜだろうと思案して悟りました。

この試合を見るのはぼくにとって義務だと思うんですよ。

大分トリニータと共にライターとして成長してきたぼくにとって義務だと思うんですよ。

湘南にしても、仙台にしても報道陣は集まるでしょう。

非常においしい場面ですからね。

だから、みなさんのこの1年の試合の集大成となるはずのこの試合を見に帰ってきました。



期待してます。

限りなく少なくなった可能性にではなく、この試合に投影させるみなさんのハートにです。

心情としては、戦地へと赴く軍人さんを見送る人々というところです。

ぼくには、ピッチで前身全霊を傾けて戦うあなた方のメンタリティーにはどうやっても到達できません。

ただただ、両手を握り締めて祈る事しかできません。

玉砕するのは目に見えていても、その瞬間を見届けたいと思います。

そして、その姿を目に焼き付けていつか語りたいと思います。



「彼らは勇敢に戦った」と。



ほんとに残念なのが、形式上であってもサポーターが一つになってあなた型を支えられなかった事。

ぼくが動くのがあまりに遅すぎました。

動いてどうなるものでもないのかもしれませんが、ベストを尽くしたとは言えませんでした。

自分の力の至らなさを痛感します。残念です。

イントロダクション

南烏山蹴球総研

イントロダクション

by ETOH Takashi 2001.11.5



すでにイントロダクションを読んだ方はいきなりこちらへ(ちなみにまだ未完成)。

http://home.att.ne.jp/air/footbose/nwbn/labo/011103.html



 11月2日付け日経新聞の33面「九州経済A」の紙面に、大分FCの星野社長の顔写真入りの記事が掲載されている。



「当社がスポンサーも降りるわけにはいかない」(原文ママ)

という発言が引用されているが、一方で

「(結果の)責任はとる」

という発言も掲載されており来期に向けて大分FCの先行きの不透明感が増してきている。



 J1昇格が絶望的な状態の中、来シーズン以降のチームにできることは何だろうか、というテーマを主題にして今回の話し合いは行われた。



 上記の記事には、

「運営資金、県に支出要請」

という見出しが躍っている。水戸戦後、記者に囲まれた溝畑GMは、

「運営資金集めをがんばります」

と語っている。つまり、チーム存続のための資金源として、スポンサー収入の道ばかり模索しているように見えるのである。



 J1昇格がほぼ絶望的となった今シーズンの結果をうけて、サポーターの間には「ペイントハウス撤退」という最悪のシナリオが描かれた場合の悲観的な予想もちらほらと出てきている。

「広告」という目的、もしくは名目でスポンサー料という形での運営費を支払っている以上、成績が伴わなければ広告媒体としての価値も低下すると見なされてもおかしくはない。それどころか、長引く不況の中、多くの社員をかかえる企業にとって利益にならないものへの投資が制限されるのは当然だとも言える。



 つまり運営資金をスポンサーからの収入に頼っている以上は、成績と運営資金面での不安定さとは切っても切れない関係にならざるを得ないわけである。



 溝畑GMは、「資金集めにがんばります」と語っているのだが、ぼくはそれは強いチームを作るための方法論としてやはり優先順位としては低いものとして考えるべきだと思う。



 Jリーグとは、そもそも興業としてサッカーの試合を見せる事で収入を得て、経営を成り立たせているチームが集まったリーグである。おもしろい試合をすればお客さんが入り、その収入によってさらに価値のある選手を獲得したり、ユース年代の育成事業に資金を注ぎ込む事で、よりおもしろいサッカー(=より価値のあるサッカー)を目指すことができるようになるのである。



 Jリーグがおもしろいのは、そうした強いチームだけがより強くなるという強化論に対して、それ以外の方法論も用意しているということである。



 つまり、各クラブチームと本拠地としている地域との結びつきを強調することで、成績に左右されないサポーターを獲得しようとしているのである。ただ、Jリーグ側からは、その方法論が提示されているだけであって、その方法論を実践するやりかたは各チームに任されている。



 大分トリニータ首脳陣の来期に向けた構想を聞いていると、スポンサー料としての運営費をどのように集めるのか、という視点ばかりが聞こえてくる。もちろん、スポンサー料という収入源は否定しないけれども、本来のプロスポーツチームのあるべき姿、つまり入場料収入をどうやって増やすのか、という視点がチーム関係者からほとんど聞かれないのは残念である。



 そこで、今回開催した大分を語ろう(仮)改め、南烏山蹴球総研サッカーを語る会では、観客動員増につなげるために、どのような方法が考えられるのか、議論してみた。



 空論に終わることなく、費用対効果まで試算したある程度実効性のある数字を算出したので読んでみてほしい。



レポートはこちら(ちなみにまだ未完成)。

http://home.att.ne.jp/air/footbose/nwbn/labo/011103.html

御礼

ニュースコラム
御礼
by ETOH Takashi 2001.11.3

ここのサイトを読んでか、どうか、正確なところはわからないですが、ホームでの水戸戦ではメイン側、芝生側のできる限りコールがまとまるようにしようとする配慮が感じられました。
どうも、ありがとうございました。

話を聞くとお互いに交流はないようですが、顔が見えるところで話をすることは非常に大事だということを、メイン側で応援されている長瀬さんとの話の中で感じました。
「ひとつになってやる可能性はゼロではない」という事や、「意地を張ってやっているわけではないんです」とう言葉に希望を見た気がしました。

今後、しかるべき第三者の仲介を仰いで、定期的な話し合いの場をもてるような所まで事態を進展できれば、同じものを愛し合うもの同士、妥協できるところが見つかるんじゃないかと思いました。

新潟が4万2千人を動員しました。仙台もコンスタントに観客を集めるようになっています。スタジアムの一体感は、観客のリピート率、そしてファンとしてチームを応援する人の増加につながるように思いますし、チームの成績にもつながるように思います。そして、それをJ2のこの2チームが現在までの結果で証明しているように思います。
そういう意味では、ぼくは今回のお互いのお互いを思いやる、そしてチームのことを考えた応援というのは意義があったと思っています。
引き続き次回のホームゲームでも、よろしくお願いします。

最後だけでも

ニュースコラム
最後だけでも
by ETOH Takashi 2001.10.22

一つにならんかえ、サポーター。

お互いにいろいろなすれ違いがあるのはわかってる。
だけど、今は非常事態。
とりあえずお互いに矛を収めて休戦してみらんかえ。
最後のホームゲーム2試合(+アウエイ鳥栖戦)だけでも
とにかく一つにならんかえ。

バラバラの応援を続けて
シーズンが終わった時に悔やむような事があったら
それこそ悲劇だと思う。
チームを愛する気持ちはどちらも同じはずだし
別々にやっていても本心では
「一つになれたら、絶対にそっちの方がいい」
と思っているはず。

青の洞門の恩讐の彼方に、じゃないけど
過去の事は忘れるとか、棚上げして
最後のホームゲーム2試合(+アウエイ鳥栖戦)だけでも
なんとかなりませんか?

今はメンツとか見栄だとか
そういうことよりももっと優先させるべき事があるはず。

チームを愛するみなさんへ
チームを愛するものとしての心からのお願いです。

isizeの企画でこんなの書きました。
合わせて読んで下さい。
http://www.isize.com/sports/football/jleague/topics/topics_vivid_N20011024012.html

大分を語ろう(仮)

ニュースコラム

大分を語ろう(仮)

by ETOH Takashi 2001.10.21



サッカーを語る集会ですが、日時が決まりましたので告知します。



場所:コンパルホール

日時:11月3日(土) 14時~16時半



★サポート活動として、どんな事ができるのか。

★FCに求めるこんなグッズ、あんなサービス

★トリニータの経済波及効果

★大分FCが破綻した時何ができるか。

などなど。



参加者には、部屋代として100円程度を負担していただければと思います。

参加希望者は、連絡ください。

議論したい人は掲示板にスレッド(スレッドへの直リンクです、これ)を立てましたのでそちらを使ってください。

http://hyper4.amuser-net.ne.jp/~auto/b13/usr/trinista/brd1/comdsp.cgi?388&&&

悲観論が蔓延してるけど

ニュースコラム

悲観論が蔓延してるけど

by ETOH Takashi 2001.10.7



みんなあの人の事を忘れてる。



ノブリン。



この前の川崎戦の試合後の監督会見で、大分トリニータにエールを送ってくれたけど、あれはノブリンの本心だと思うよ。

聞いててなんかあったかくなったし、会見場の雰囲気も和んだような気がした。

もちろん、川崎が「大分のために」なんて戦うわけじゃないけど、結果的にそうなるんじゃないかとひそかに期待してます。

それに、大分は今シーズンの川崎との対戦を全部終えてるわけで、後は援護射撃に期待しようじゃないですか。



まだまだ、勝負はこれから。

諦めるのはまだ早いよ。



ただ、川崎の援護射撃を期待する前に、大分が勝っていかないとどうしようもないんだけどね。



で、掲示板で大分の布陣について議論してます。よかったらどうぞ。

http://hyper4.amuser-net.ne.jp/~auto/b13/usr/trinista/brd1/comdsp.cgi?389&&&6

大分を語ろう(仮)

ニュースコラム

大分を語ろう(仮)

by ETOH Takashi 2001.10.6



サッカーを語りたいと思います。場所はコンパルホールで11月3日を想定していますが、休日にタダで使わせてくれる会議室があればぜ教えてください。語る内容についてはいくつか考えていますが、テーマは大体こんな事を想定しています。参加者には会場の利用費だけ負担してもらいたいと思っています。

★トリニータのベストな布陣とは?

★FCに求めるこんなグッズ、あんなサービス

★トリニータの経済波及効果

★J1、J2他チームの現状

★大分FCが破綻した時何ができるか。

などなど。

興味のある人は、連絡ください。

議論したい人は掲示板にスレッド(スレッドへの直リンクです、これ)を立てましたのでそちらを使ってください。

http://hyper4.amuser-net.ne.jp/~auto/b13/usr/trinista/brd1/comdsp.cgi?388&&&

「魚民オフ」

ニュースコラム
「魚民オフ」
by ETOH Takashi 2001.9.23

holiomaさんが紹介してくれたこの企画ですが、12名が集合して無事に終了。こういう形で大分のファンが集える場所がもっとあるといいなと思いました。
ちなみに40人くらい集まると、このテーブルがある部屋を丸ごと埋め尽くせます。それくらいの団結力があるといいんですけどね。

28節新潟戦観戦記

ニュースコラム

28節新潟戦観戦記

by nyankoさん 2001.9.15



2001年8月25日(土)/天候(曇時々雨)/J2第28節/大分トリニータ VSアルビレックス新潟



<ルシアノが戻ってきた>

 ルシアノ・・・、思い出すのはNHKでも中継された昨年の札幌とのアウェー。終了間際に同点に追いつくボレーシュートは強烈な印象を残し、確実に大分の歴史の1ページとなった。左足から繰り出される技術は高く、鳥栖にレンタルされてからは司令塔として活躍。そして昨年の最終節、浦和戦で彼があのPKを決めていれば、大分がJ1の舞台に立っていた・・・、苦い思い出である。今年は残りの試合で昨年の雪辱を果たしてもらいたい。

 そのルシアノは、中盤のやや引き気味の位置で原田とダブルボランチを組んだ。また、鹿島から獲得した中村を左サイドバックに起用。出場停止のスターレンスの代わりに山崎をセンターバックに置いた。



続きはこちらへ

http://home.att.ne.jp/air/footbose/nwbn/oitajin/010825.html



ちなみにこのレポートの作者のにゃんこさん、奥さんがおめでた、だそうです。暗い世情の昨今ですが、明るいこういう話は救われます
ニュースコラム

「飲もうか、みんな」

改め

「9/21 ジャングル公園横・魚民をレプユニで埋めよう計画!」

発動!!

by ETOH Takashi 2001.9.15



えー、そんなわけで、鳥chの9/22 <ビッグアイ> 2万人越え計画!! スレッド内で、いつのまにか尾ひれがついてしまっていまして、ただ、ぼく的にはそっちの方がおもしろいじゃん、という単純な理由で新プロジェクト発動です。

http://www2.d-b.ne.jp/torinichi/cgi-bin/torichan/BBS/index.html

http://www2.d-b.ne.jp/torinichi/cgi-bin/torichan/bbs.cgi?bbs=BBS&mode=ViewRes&thid=999352738



日時は9月21日(金)夜20時~。

場所は、ジャングル公園の所にある魚民。

会費は飲んだだけ頭数で割って出したいと思います。男女の差は臨機応変に。たぶん3000円くらいかな。

はなしのネタは、チームの体制、観客動員の問題、サポーターの問題などなど。そんないろんな問題に対するみなさんの意見をぜひ聞かせてもらいたいと思っております。

参加は自由。サポーターの方も、座って観戦している人もみなさんに来てもいただければと思います。

参加希望者は、メールで参加表明してください。参加資格は、大分トリニータへの愛情を持っている方という事でお願いします。

持っている方は、レプリカユニフォーム&タオルマフラー持参でおこし下さい。



個人的には、メインスタンド&ゴール裏のサポーターのみなさんが一同に会す場所になれば喜ばしい限りでございます。たぶんね、face to faceで話し合えば分かり合えると思うんですよね。だって同じチームを愛しているもの同士なわけだしね。

なお、現在の所特定の集団に対して参加を働きかけているような事はありませんので、皆さんこころおきなく参加ください。



参加希望者は、このメールアドレス宛てに参加表明してください。ちなみに現時点で数名の方から参加表明をいただいています。
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