川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。



大久保嘉人が2年連続で単独の得点王をほぼ手中に収めるという偉業を達成した。26ゴールを決めた昨季に比べると、今季は18ゴールと数字的には遠く及ばないが、1年間のリーグ戦を戦った結果であり、賞賛に値するものであろう。

そんな大久保に日常的に取材をしていると、非常に特徴的な選手だということがわかってくる。

彼は常に自らにブレッシャーをかける言動を続けてきたのである。

「オレにパスを出せ。ミスしたらオレの責任でいいから、オレにパスを出せ」と、そういう言葉をチームメイトに言い続け、メディアでも公言して周囲の選手にプレッシャーを掛け、実際にパスを出させるに値するプレーでボールを引き出した。周りにプレッシャーを掛ける言動は、巡り巡って彼自身に対するプレッシャーとなる。そしてそのプレッシャーを物ともしないプレーを続けたのである。

強いプレッシャーの中で戦う事で自らを厳しい環境に置き、それを乗り越えるために日々努力してきたのが大久保という選手で、それが結果として現れたのが昨季の得点王であり、ブラジルワールドカップへの選出である。

ザッケローニ前日本代表監督にサプライズ招集された直後、日本代表入りを振り返りこんな発言を残している。

5月18日 J1 川崎vs横浜FM戦後

――ずっと代表のことを期待されてきて最後に入れた。どういう気持ですか?

「入りたいと思ったのも1年前でしたし、その気持を持ち続けてきたのは良かったです。それを自分のプレッシャーにしてたからここまでこれたのかなと思いますけどね。

代表はそれまではいいと思っていました。入りたいとも思ってなかったし、入れないとも思っていたので。1年前ですね、きっかけは」

代表が発表される1年前に大久保は父を亡くし、死後に見つかった遺書に書かれていた「日本代表になれ 空の上から見とうぞ」という言葉に触発されて代表を目指した。

それまでの人生でもそうしてきたように、大久保は自らにプレッシャーを掛け、プレッシャーを使いこなした。


なぜこんな話を書くのかというと、心理面に作用するプレッシャーというキーワードをめぐり、いくつかの出来事が起きたからだ。

一つはC大阪のディエゴ・フォルランである。

日本について否定的に語ったとされる一連の報道を受け、実際のインタビューを視聴し、翻訳した文章が公開された。

彼の真意が伝わる翻訳文だったが、それはそれとして、彼がメンタルについて語る部分があった。

C大阪が降格したあとの練習について語った部分である。



ウルグアイでのフォルランのインタビュー内容、実際はどうだった?

土曜日に降格が決まり、次の日の日曜日の練習の時のことだ。

(中略)

降格が決まっても、何ひとつ変わらない。

それで、これはどういうことだろうと分析してみたんだ。

これにはいい面もあれば悪い面もあるけれど、どういうことかというと、負けることに対するプレッシャーがなければ、降格したということを身に沁みて感じることができないんだ

勝つ必要性を感じていない。それは、プレッシャーをかけてくれる人がいないからだ。そういう人がいてしかるべきなのに。

第一にはまず、選手自身がそういうプレッシャーを自分にかけなければいけない。自分が勝ちたいのであれば、誰か他の人が言う前に自分で自分にプレッシャーをかけるべきだ

でも、それがうまくいかない時というのが必ずある。

そういう時には、外の人からのプレッシャーを感じることで、さらに全力を尽くそうと思うものだ。でも、ここではそういうものが一切ない。

勝っても負けても同じなんだ。勝とうが負けようが、「はい、ひと仕事終わりました、さようなら」。そういう感じ。だから、そういう意味での感情を持ってないんだ。

彼らが、そういうことをやろうと努力しているのは見ていて分かる。でもできないんだ。彼らはまるで科学と向き合うようなやり方をしているけど、フットボールは科学じゃないんだ

勝つために選手たちは自らにプレッシャーを掛ける必要があるのだという事を語った一文だった。

フォルランはまた、引用部分の最後の部分で「フットボールは科学じゃないんだ」と語っている。これはつまり、サッカーをデジタル的に「勝った負けた」、つまり「1か0か」だけで考えるべきではないという意味であり、科学技術立国である日本という国柄を絡めた発言である。

科学技術は数式で示されるが、フォルランはサッカーにおいては、時に情熱や、精神論が必要なのだと述べている。

なるほどと思わされるが、精神面の重要性について語ったこのフォルランの言葉が頭に残ったのは、その前日に印象的な会見に立ち会えたからだ。

12月7日に行われたJ1昇格プレーオフの試合後の両監督の会見での事だった。

まずは、山形を率い、6位ながらJ1昇格を決めた石崎信弘監督の試合後の会見。
【J1昇格プレーオフ:決勝 千葉 vs 山形】石崎信弘監督(山形)記者会見コメント(14.12.07)

ただ、やはり本当のサッカーの良さというのはどこにあるかというところで、僕はやはり先ほど話している通り頑張ると、一生懸命頑張る、戦う。まあ、精神的な部分だと思うんですけど、やはりそういうところで人に感動を与えられるんじゃないかなと。下手な人が一生懸命走って戦う。それで、それに刺激されてサッカーが上手な人も一生懸命走って戦うようになってくれば、もっともっと日本のサッカーも強くなってくるんじゃないかと思います。

こんな偉そうなことを言ったら怒られるかもしれないですけど、ワールドカップやアンダー世代の代表を見ていると、たぶん日本のサッカーの育成の部分は間違っていないんだろうと。ただ、やはりそれだけに固執して気持ちの部分でなかなか勝てないんじゃないかと、特にアジアの国などに勝てない。今でもアジアでは下の年代は(国際大会の予選を)突破できていないと思うんですよね。

育成年代に対するアプローチとして、JFAが主導権を取ってライセンス制度を導入し、指導についての適切な知識が広められ、技術向上の面では成果を上げている。ただその一方で、気持ちの強さというものが置き去りにされているのではないかと石崎監督は述べている。これは技術的に素晴らしい選手から感じた精神面の弱さを、現場での経験から感じた結果であろう。

精神面については千葉を率いた関塚隆監督も敗戦の理由の一つとして会見冒頭の総括と、会見の最後の質問に対する答えとして言及している。

【J1昇格プレーオフ:決勝 千葉 vs 山形】関塚隆監督(千葉)記者会見コメント(14.12.07)

冒頭の総括の一部
「1点を奪われ、後半、時間がある中で最後の最後まで点を取りに行こうと選手たちはよく足を動かしてくれたと思いますけど、山形さんの気持ちというか、それが一つ上回ったんじゃないかなと思います」

会見の最後の質問に対する答え
「それはやはり気持ちのメンタル面だけではなく、やはり技術的なものとか戦う姿勢とかそういうトータル的なものを積み上げていくということが大事なんじゃないかなと。やはりそれはしっかりと地道なトレーニングから、そして立ち向かう姿勢から、そういうところから積み上げていくものだと思います」


フォルランは、前述のインタビューの中で、日本選手の技術の高さについて述べている


ウルグアイでのフォルランのインタビュー内容、実際はどうだった?

サッカーに関して言えば、ここは言うことのない環境が整っている。インフラも素晴らしいし、サッカー自体のレベルも非常に高い。例えば日本のチームとウルグアイのチームが試合をすれば、日本のチームのほうがはるかにレベルが高いだろう。ヨーロッパのクラブ相手でも、もちろんトップクラブは別だけど、それ以外のクラブ相手ならきっといい試合をするはずだ。

以前スダメリカーナ杯とナビスコ杯の優勝チームで争われる大会でダヌビオが来たときは、日本のチームが勝った(※4)。それはそうなんだ、だけれどもだ


と述べ、ブラジルワールドカップを前にした会見での発言を元に「彼らはすごくナイーブすぎるんだ」と語る。真剣勝負で勝つということは、技術だけでは成し遂げられないのだということがこの言葉に込められている。

技術は教えることが可能だ。だが、戦う気持ちやサッカーとの向き合い方。姿勢については言葉で表現するのは難しい。だからこそ、後回しにされてきた部分でもある。だから今すぐに「メンタルを鍛えよう」とマニュアルが作れるわけがない。何故ならば、技術などとは違って目で見えないものだからだ。

それはもしかしたら、技術的な能力を持ち合わせる子どもが存在するのと同様、生まれ持った資質なのだろう。どうにかして鍛えられるものではないのかもしれないが、そうだとしても「気持ち」を巡りこれだけの証言がある以上、気持ちの強さの大事さはもっと共有される価値観であるべきだろうと思う。

たとえば、大久保嘉人のように負けん気の強い選手をどう育てるのか。育てられるのか。彼の育成環境が今後の参考になるのか。

フォルランが日本で感じた違和感は、埋められるものなのか。

石崎監督が口にした気持ちの部分の強さは、監督が会見で述べた「噂によく出るきついトレーニング」によって実際に培われるものなのか。

それとも日本社会の限界なのか。

日本サッカー界が世界に伍して戦うための幾つもの乗り越えるべき課題の一つとして、気持ちの大事さについてもっと考える必要があるのではないかと感じた次第だ。


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1 コメント:

おーろら さんのコメント...

こんにちは。寄稿の方、お疲れ様でした。日本のサッカー・・・、とりわけ日本全体なんでしょうかね?トランプとか、ボーリングとか、ゲームと言う勝負事だと、とことん弱くなってるかもしれないですね。記されたような着地点、目標地点に行く人間っているのかな?高い目標を持つ持たないじゃなくて、いつの間にか自分を磨くことをやめてしまってるのかなあ。考えさせられる感じでした。ネガティブではなく、プラスにとらえて読ませていただいた後に色々と思っております。
※追記
いつもうちの若いのが麻生でお世話になってます(^_^)

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