川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

「白杖頭上50cmシグナル」について



先日、白杖頭上50cmシグナルというツイートを見て早速RTした。



「こんなSOSシグナルの存在を知らなかったし、これはいい知識だ。早速広めよう」、という親切心のつもりだ。

ところが、しばらくしてこれに反論するツイートが届いた。

曰く「視覚障害者の総意ではない」ということ。

それとともに以下のブログを示されて、だから拡散するのはやめた方がいいと言われた。


「ブラインドサッカー世界選手権(11/16〜24@国立代々木競技場)まで毎日ブラサカのことを何か書く試み」さんの

毎ブラ180:「白杖シグナル運動」の危うさについて

というエントリーだ。

じっくり読んでみて反対意見の存在は理解したが、それはそれとして、それにしても拡散には一定の意味があるとも考えた。

ということで、メモ書き程度ではあるが、上記ブログに書かれた項目に対し、自分の意見を書いてみようと思う。

議論するとか、そういう話ではありません。

追記)09.15
このエントリーの趣旨は、絶対に自分の意見を曲げない、ということではありません。
「白杖シグナル」を積極的に嫌がっている人たちがかなりの数いるなら広めることはしませんが、以下に示したとおり、広めるべきではないとする方の根拠があまりに薄いということがひとつ。

また、何度も書いてますが、「白杖シグナル」が広まったとして、それで困る人が出ることはないのではないかと思うこともひとつあります。白杖を掲げたくない人は掲げなければいいし、掲げる以外の行動で、自分が困っていることを表現すればいいだけなので。

「白杖を掲げていないから困っていないと判断されるのは困る」というのは、あり得る主張ですが、白杖を上げる以外に、困った場合に周りに示せるサインとして何があるのかと考えますが、声を上げたり、手を上げたり、そうする以外の仕草を思いつきません。またそうすれば、周りに困っていることを伝える事が可能です。つまり、自らが困っていることを周りに知らせるサインとしては、白杖シグナルに限定されるわけではないと考えます。

そんなわけで、声を出しても誰もいないような環境がある可能性もありますし、白杖を掲げるSOSサインがあるということを知っていて、ぼくは悪いことではないと考えます。
ーーー


1「先日のブラインドサッカー代表合宿に集まった選手たちのうち、この「白杖シグナル」をルールとして認識しているのは、福岡県在住の選手1人だけだったそうです」→

つまり一人は知ってる人がいた、とも言える。多くの人が知らないルールだとしても、それを使う人がいるのであれば知識として知ってて悪くはないと考える。

2 「日盲連の会員数は、公称約5万人。日本の視覚障害者はおよそ30万人。必ずしも白杖ユーザーの総意ではない」までは同意するがが、(それどころかほんの一部の意思にすぎない)は同意できない。ほんの一部、と断言するには、数字の考察が雑過ぎます。

3 抵抗感がある方は、ここでも書かれているように、しゃべるなりして助けを求めればいいと思います。

4 「「このシグナルを出していない白杖ユーザーは困っていない」と勘違いする人が増えるおそれがある」→かも知れないが、さすがに危ない状況にあれば注意する。

赤信号を渡ろうとする白杖の人を見かけて、掲げてないから困ってないとは誰も思わない。そもそも白杖の人は視力に問題を抱えているということを多くの人が知ってるわけで、白杖を持つ人が必ずしもすべての危険を認知できないことも多くの人が理解している。つまり、このSOSサインを出していないからと言って、すべての人が困ってないと思うかというとそうでもないと考える。

何か事故があったときに「シグナルを出してなかったんだから自己責任だ」なんて言われてしまうケースも出てくるおそれがあるのです
→最悪のケースを想定した推測でしかない。もちろん、最悪のケースを想定する必要はあるが、だからといって「交通事故を起こすケースがあるから自動車は廃止しましょう」とはならない。そもそも司法まで行けば「自己責任だ」とはならない。

5 「ホームの端を歩いているので心配だったけど、白杖を掲げていないので大丈夫だろうと思って声をかけなかった
→この状況がいまいち浮かばない。ホームの端を歩いている人が危ないのかどうか。周りに人がいて声をかけなかったのなら、逆に危なくないのだろうし、どれくらいの人がその時周りにいたのかもわからない。すべての人がSOSサインを知ってたとも思えない。そんな状況で、声掛けしなかったのなら、危なくないのかもしれない。これだけで、SOSサインを周知すべきではないというのは、検証としては甘い。
SOSサインをRTする人に声がけできる行動力があるくらいなら、「危ないところを歩いてる人には声掛けしましょう」活動をすればいいと思う。そもそも、SOSサインを知ってても知らなくても、白杖を持ってるか持ってないかにかかわらず、本人が気が付かず危ない状況に陥っているなら、声をかける人は声をかける。危ないのならね。

6 これはその通り。ただ、3にもある通り、待ち合わせの合図なのかもしれない。知識として知ってれば、気にかける人も出てくる。

7 これもその通り。まずは総意にまで格上げしてほしい。ただ、すでにSOSサインになっているなら、伝える意味はある。

8 耳が聞こえない方も、何かしら問題を抱えている時にこのSOSサインを使ってもいいのではないかと思う。



というわけで、メモ書き程度ですがまとめてみました。
個人的にはサインの存在を知識として知っていて悪く無いと思います。

そして、白杖を持つ方々は健常者とは違うということも理解しておく必要があると思います。

「サインが出てなくても困っていたり、危なそうであれば、声をかけましょう」

SOSサインの周知とともに、そういう運動をやったほうがより白杖を持つ皆さんにやさしい社会が作れるんじゃないかと思います。



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