川崎Fの選手たちは、時として強烈な壁として立ちはだかってきた松田直樹の今回の件について一様に悲痛な表情を見せた。そしてその中でも、彼に近いところにいた選手の表情が痛々しかった。
練習を終えた山瀬功治に、闘病中の松田直樹についてメッセージがないか訊ねると「その件については、自分で書きたいので」と返された。下手に、下手なライターの手を経るよりも、ダイレクトに自らの思いを書き綴ったほうが、たぶん気持ちは伝わる。そう思い、彼自身のブログに書くのだろうと、そう問い返すと「それもありますし、これから病院に行こうと思っています」との事だった。ブログに書くこともそうだが、それよりも気持ちを松田直樹自身に伝えたかったのだろう。居ても立ってもいられない人がここにいた。
その何分か前に、小宮山尊信と共にクラブハウスを出てきた田中裕介に、松田直樹についてコメントをもらおうと思った。車に近づくと、若干慌てている様子が見て取れた。メディア対応のしっかりした川崎の選手の中にあって、田中裕介は特にそれがしっかりできる選手である。
通常は、話を聞こうと近づくと、話しかける前に立ち止まり、質問しようとする取材者に対して顔を向け「何か質問はありますか?」といった表情を顔に出せる選手だった。
その田中裕介の様子がおかしい。今にもアクセルを踏み込もうとする田中裕介に松田直樹の事を訊ねると、それには答えること無く、そして急いでいるのだという表情を見せながら「今から行こうと思っているんです」と口を開いた。その尋常ならざる表情を見て「気をつけて」とだけ言い添えて車を見送った。小宮山尊信の車と共に、彼の車は駐車場を飛び出していった。
車で行けば片道3時間。その距離を厭うこと無く、彼らは松本を目指した。松田直樹という選手は、そこまでして会いに行かせる何かを持つ人なのだろう。
シドニー五輪に日韓ワールドカップにと、共に戦った経験を持つ稲本潤一は現在、痛みの残る足の治療を続けている。その稲本に松田直樹の件を訊ねると、逆に「何か知ってることはありますか?」と問い返された。すこしばかり内情に通じた知り合いからの伝聞情報を織りまぜはしたが、基本的にこちらも情報を受け取る側である。おそらくは稲本と同レベルの情報を伝えるに留まったのだが、彼は苦渋に満ちた表情でそれを聞いてくれた。そして「戻ってきてくれると思っていますし、こんな事で終わる人ではないと思っています。ぼくらができることは、信じることと祈ることだと思います」と沈痛な表情で語ってくれた。
松田直樹がたくさんの人に愛されていた事は、彼に近いところにいた人たちのそれぞれの表情を見れば明らかだった。依然として予断を許さない状況が続いているが、彼の自身の力強さと、救命チームの力を信じるしかない。そして、いつの日か、目覚めて欲しいと思う。このまま逝ってしまうのは、あまりに早すぎる。
松本山雅はまだ、J2には上がっていないよ。
2002年日韓共催W杯での1シーン
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川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ
ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。
JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。
今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。
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