来季からのJリーグへの加入が決まった町田ゼルビアのHPに酒井良のインタビューが掲載されていて、なかなか面白い。
http://zelvia.jp/pickup/sakai/3.html
やっと本を読むようになったのは27才の時ぐらいですかね。ザスパ草津のときに、「もうやりきったな」という気持ちになり、サッカーを辞めようと決意しました。ザスパを辞めたら、どうしよう。教員になろう。そのためには、教職免許を取らなければ。なら、母校に戻って勉強しようと、いろいろ考えていると、「俺って、やっぱり、サッカー馬鹿かも知れない」と気付いて、やっと本を読みだしたんです。
―それで、東京農大に入りなおして、勉強した。
ゼルビア1年目は、教職を取るための勉強とサッカーの練習の両立は大変でした。でも、人生で初めて勉強しました。大学生の時は、学校の評価は、 ほとんど「不可」か「可」。教授には、「なにが、良だ。不可に名前を変えろ」と叱られたものです。それが、教職課程では、すべて「優」。今度は先生から、「名前は、良じゃないよ。優だ」と言われました。
サッカーをやめようと思い、教員免許をとりに母校に戻るというエピソードが興味深いが、そう思い至る過程にはもちろんバックグラウンドがある。キレキレのプレーを見せており「あの頃は一番良かった時期ですね」と話す湘南を離れると、その後はクラブを渡り歩く生活を送る。02年に山形で1年間プレー。03ー04年でかりゆしFC、04年10月に当時JFLだった草津に移籍すると、05年に3季ぶりのJ2を経験する。しかしその05年シーズンに契約満了を告げられ、所属チームをなくす。
これだけの経歴を持っていれば、やり切った感が出てきてもおかしくはなく、だからサッカーを辞める踏ん切りが付いたとも言える。
このインタビューでは言及されていないが、06年に町田に加入した際、彼は大学での勉強を優先させ、クラブでのプレーは片手間になる事を認めてもらっていたのだという。当時の町田は関東2部。そうした条件が可能なディビジョンにいたという事も言える。ただ、酒井が加入した06年に町田は関東2部で優勝。関東1部に昇格した07年にも優勝するなど快進撃を見せ、08年に関東1部を連覇し、臨んだ第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝して09年からのJFL昇格を決めたのである。
ちなみに余談になるが、この第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会については、12月11日のJFL最終戦となるカマタマーレ讃岐戦後のセレモニー中に下川浩之社長が言及。改めて見直すと、非常にドラマチックな試合展開で、町田に関わる人にとっては強烈な印象を残した大会だった事がうかがえる。
話を元に戻すが、このカマタマーレ讃岐戦後の会見で酒井は、選手を代表してキャプテンの津田和樹と共に壇上に上り、記者からの質問に答えていた。彼はいつも試合後はそうではあるのだが、この会見では特にやり切った感が出ていて、非常にいい表情をしていたように思う。
町田がJ2で戦う来季に酒井がピッチに立つと、7年ぶりにJリーグに帰って来る選手ということになる。一度一線を離れ、Jリーグには6年ものブランクがある選手の復帰ともなるとあまり前例がないのではないかと思われる。そういう意味では、来季の町田の開幕戦が楽しみである。
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