川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。


 少々古い話で恐縮だが、FC東京とACLを戦った際の、ブリスベンの試合終盤の戦いが腑に落ちなかった。パスをつなぎ、サイドまでは崩すのだが、ラストパスとなるクロスにまでグラウンダーへのこだわりを見せていたのである。もちろんそのパスがつながり、シュートに持ち込めていれば問題はない。しかし、彼らのパスはつながらなかった。

 FC東京の守備がうまかったというよりは、単純なパスミスである。そもそも遅攻時の、アタッキングサードの崩しにはどのチームも苦労しており、簡単ではない。だから、個人的にはあそこで浮き球によるクロスを入れてよかったのではないかと考えている。彼らはオーストラリアのチームであり、フィジカル的な強さを持っているからだ。

 ところがブリスベンのラド・ヴィドシッチ監督は、会見で「オーストラリアと言えば、ロングボールというイメージがありますが、それを替えていくためにやって行きたいと思います」と述べてパスサッカーへの変革に対する意欲を伝え、だから「信じてやり続けること。今回の試合は非常に大事なトライでした」と振り返っていた。

 パスサッカーにこだわりを見せ、アタッキングサードでの精度を高める。そのためにゴール前でも執拗にパスをつなごうとする。そうした考えの監督がいてもいいと思うし、それを支持し、トライし続ける選手がいてもいいと思う。ただ、そこで臨機応変さを持って臨めていれば、もう少し違った試合展開になったのではないかと思うのである。

 なぜこんな事を考えているのかというと、たまたま川崎の監督に就任したばかりの風間八宏さんの「日本サッカーを救う『超戦術』」を読んでいたからである。風間さんはこの本の中でこんな事を書いている。

p044
 日本の選手たちは判で押したように「自分たちのサッカーをやれば勝てる」と話します。しかし「自分たちのサッカー」とはどういうものかを、きちんと説明できる選手は少ないと感じます。結局のところ、「自分たちのサッカーが云々」という言葉がそのままパッケージとして、言い訳に使われているのではないだろうか、と思うのです。

p045
あるチームが下部リーグに降格する危険がある状況で、ベンチから「自分たちのサッカーをしろ!」という指示が何度も飛んでいるのを聞いたことがあります。果たして、この指示は正しいのでしょうか。
 残念ながら、私には正しいとは思えません。「自分たちのサッカー」を続けようとしたからこそ、結果を出せずに降格の危機に陥ったはずなのです。ならば、「自分たちのサッカー」を捨ててでも勝利を拾う方法を考えなくていいのだろうか、と感じました。

 ここで風間さんが言いたいのは「自分たちのサッカー」は何のために存在しているのかを考えようという事である。そしてそれは突き詰めていけば勝つためである。だから、「自分たちのサッカー」という言葉に振り回されることなく、状況に応じて臨機応変にそれを使い分けるべきではないのか、と問いかけているのである。

 そうした風間さんの考えが頭に入っていたこともあり、ブリスベンのヴィドシッチ監督の会見や、ブリスベンが実行していたサッカーに若干の違和感を感じていた。そしてそれをポポヴィッチ監督の通訳である塚田さんに話したところ、塚田さんからは「そこで信念を曲げて浮き球を蹴ったらそれまでの積み重ねが消えてしまう。それはそれで分かります」と反論された。

 塚田さんは、あるサッカーを習得するためにやり続ける事の大事さに理解を示し、それをぼくに伝えようとしていた。それはそれで大事な事だと思う。ただ、プロスポーツとしてのサッカーは勝たねばならないはずだと考えていた。だから、選手たちの特性に合わせ、リアルタイムに戦術を変更する事の大事さは、ぼくの中では捨てられない価値観だと思ってもいた。

 そう考えていた時に、ちょうど読みかけていた川本梅花さんの「俺にはサッカーがある」における波戸康広のエピソードにたどり着き、塚田さんやヴィドシッチ監督の考えが理解できた。波戸は大宮が樋口靖洋さんのサッカーで上昇気流に乗りかけながら、GMの交代に付随した監督交代により、サッカーの質の転換を迫られた時にいろいろなものと戦っていた。

 波戸は、大宮の新監督となった張外龍氏がイングランドでの100試合以上の視察の経験を元に「キックアンドラッシュ」スタイルの戦術を実践しようとした際に苦悩する。樋口氏の元、数年をかけてポゼッションサッカーが大宮に根付いてきており、だからこそ張氏のサッカースタイルは選手の間で議論になっていた。そして率直に戦術についての疑問を監督にぶつけた小林慶行がキャプテンの任を解かれ、柏レイソルへと移籍するという出来事が起きていた(小林慶行のエピソードも「俺にはサッカーがある」に収録)。そして波戸は、小林が移籍を余儀なくされたそのあたりのタイミングで選手として割り切ったのだという。少々長くなるが、以下に引用する。

p273
 波戸は、その時にプロフェッショナルとしての姿勢を貫こうと心に決める。
「『なんでこのサッカーをするんだ』と思っていたんです。でも、選手である以上、監督から『こういうサッカーをやれ』と言われたなら、それは絶対的なものになる。選手というのは『この監督のときは使われるが、この監督のときは使われない』となったら、それは『いい選手』とは言えない。どの監督であろうが試合に出場し続けられる選手こそ、対応力のある選手であり、いい選手だと呼べると思っているんです。
『何でこのサッカーなんだ!』と思うところがあっても、監督の要求することを忠実にやらないとチームがバラバラになっていく。そこをしっかりとわきまえて、チームが勝つために言われたことはやる。『自分のサッカー観と違うから』と頑固に拒んで、試合に負けていたら話にならない。監督の指示通りに動いて負けてしまうのならしょうがない。その責任は監督にあって、結果が悪ければ、監督が責任をとることになるのは当たり前のことですからね」

 この部分を引用したのは、つまるところ「結果が悪ければ、監督が責任をとる」という部分をよりはっきりと見せたかったからである。そして監督が信念を貫く事の背景には「戦術が先か。それとも選手個々の能力に戦術を合わせるのか」の判断をプロフェッショナルな監督としての進退をかけて行なっているということを、間接的に理解できるからである。

 試合の中で戦術をどう運用していくのかについて、試合結果や試合内容といった視点から見た場合、それに対してぼくはより相手を崩せるやり方を取ればいいと考えていた。だからブリスベンが浮き球のクロスボールを使わないことが奇妙に思えた。しかし、試合内での戦術の運用について、監督の視点から見た場合、そこに監督個人の信念が加わってくると話は変わってくる。つまり、監督個人が信念を持って貫きたい戦術が、時にその監督自身の進退問題や結果を凌駕するということなのである。

 そんな事を書きまとめているこのタイミングで、ちょうど読み始めた佐藤拓也氏の「FC町田ゼルビアの美学: Jリーグ昇格を勝ち取った市民クラブの挑戦」の中にこの原稿の主題に沿った部分があった。ポポヴィッチ監督について書かれた第2章である(こちらのトークイベントに出演することもあり、予習として読んでいた)。この章の中にある「美しいサッカー」という約束という節の冒頭にポポヴィッチ監督の町田での就任会見でのコメントが引用されている。

p75
 就任記者会見でポポヴィッチは、実に明確に自らの方向性を打ち出した。
「この場で結果について『必ず勝つ』とかは言いたくありません。しかし、面白いサッカー、攻撃的なサッカーをするということは約束します」
 決して結果にこだわらないわけではない。ポポヴィッチが言いたかったことは、相手のよさを消して勝つのではなく、相手がどこだろうと自分たちが主導権を握り、攻撃でねじ伏せるサッカーを目指す、ということ。

 そしてそのために、時に結果を犠牲にもしますよ、という事を宣言したのである。プロフェッショナルな監督としての地位を賭して、それでも自らの信念を貫くという事を宣言したのである。そしてそうしたポポヴィッチ監督の姿勢を知りすぎるくらいに知っていたこともあり、塚田さんはぼくの言葉に反論してきたのだろう。この本を読むことで、塚田さんの姿勢がよく理解できた。

 話はそれるが、この本は町田ゼルビアについて書かれた書籍ではあるが、ポポヴィッチ監督の姿勢を理解するという意味では、FC東京のサポーターにもおすすめしたい一冊である。

 話を戻すが、目の前の結果を求めつつ、数ヶ月後、数年後を見据えた熟成や育成を両立させることは難しい。つまり新監督を迎えたチームは、その監督と過ごす時間軸をどう捉えるのかが問われてくる。プロである以上サポーターを楽しませる必要があるとも思っていたが、それと同時にプロである監督が進退をかけて試合に臨むのなら、それはそれで尊重すべきという話である。もちろん、その姿勢がすべてのチームのサポーターに当てはまるわけでもない。だからこそ、そうした監督の姿勢や試合内容、そしてそれを支えるクラブのあり方をといったものを評価するのが、ぼくらの仕事ということにもなる。そう考えると責任は重大である。


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2 コメント:

匿名 さんのコメント...

私はFC町田ゼルビアの1サポーター。昨シーズンゼルビアはJFL3位でJに昇格しましたが、得点は61でリーグタイ、失点は28で17チーム(ソニー仙台FC除く)中1点差で最少2位、得失点差は33点のダントツ1位でした。ポポヴィッチ監督の下前半は守りが不安定で失点も多く、3-0を、同点にしてしまったこともありました。それが途中から得点を増すと同時に、失点の数なさが際立ってきました。素晴らしいチームとなり、確固として理念を実践するポポヴィッチファンになりました。今日のブログを見て思わず投稿しました。今町田はアルディレス監督の下、まだまだ不安定ですが、期待を持って見ているところです。

医療系の職務経歴書 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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