川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。


就任初年度で優勝した市立船橋の朝岡隆蔵監督の試合後の会見です。



◯朝岡隆蔵監督(市立船橋)
立ち上がりでああいう形で失点をして、構えてしまってボールを奪いに行く姿勢を強く持てず、特にアンカーやっていた松丸(龍)のところがもっと強くボールサイドにアプローチに行って欲しかった部分がなかなか寄ってくれず、そこで逃した部分があった。また2トップを怖がりすぎてラインも下がり気味でもう少しというところで、ハーフタイム、修正して彼らは気持ちも強かったですし、そういう意味ではボールに対しても前から奪いに行く姿勢を強く示し、テンポよくゴールに迫ることができた。
後半については点こそ入りませんでしたが、及第点以上の点数をあげられる戦い方をしてくれたと思います。ああいう形でロスタイム取れたのは、強い心が彼らを突き動かしたし、運とかはあまり好きではないですが、運が呼び寄せたプレーだったと思います。延長戦も同様です。

Q:2トップを警戒するということで守備的なメンバーで前の3人で、という事なのかと思ったんですが、コンセプトとしては最初はどういう試合展開を予想されたのでしょうか。
A:磐瀬(剛)のケガの状態があまりにもよくないので、ずっとためていたものを一気に発散してもらいたいという事で、杉山(丈一郎)と菅野(将輝)、3年生がこの舞台で、杉山はこの前は出ていませんし、菅野についてもプレー時間が少なかった。彼らは強い思いを持っていましたので、ピッチ上で表現してくれると考えて、スタートはああいう形で行きました。
コンセプトとしては、2トップにやらせたくない、というよりも、相手のサイドハーフ、18番と8番のところで一気に襲いかかりたいというところはありました。そこら辺がうまく行かなかったんですが、奪ってからはシンプルに前に早くという意図はありました。

Q:磐瀬くんのケガを受けて、杉山くんと菅野くんを入れたことで、4−4−2もあるのかと思ったんですが、4−3−3で行った理由は?
A:急に変えることでうまくいくことと行かないこともありますし、自分たちがこの選手権で全国に向けてトレーニングしてきた成果を出す最後の場ですので、そういう意味では急に2ボランチにするのかという悩みもありましたが、やはりそのポジションでその役割をしっかりやってほしい。そういう意味では菅野、杉山については守備については少し物足りなさがあったので、彼らは今日爆発して欲しいという思いでピッチに送り出しました。

Q:2枚の選手交代がチームに活性化させましたが、この交代の意図は?
A:最後までピッチに立っていて欲しいという思いはありましたが、誰が出ても高いパフォーマンスを発揮してくれるという自信はありましたし、かなり気負って菅野に関しては守備の所で逃しているシーンが多すぎた。だけどなんとかと思い引っ張っていたんですがさすがにそこは苦しいなと。ということで、体力的に十分有り余っている池辺(征史)を入れたほうが活性化する。守備のアプローチ、連続した動き。またドリブルも彼は得意ですから、そういう意味では池辺が入ったほうが活性化するだろうという意図はありました。
杉山は攻撃面ではよくやってくれていましたが、残り10分のところで宇都宮(勇士)がホントにチームで一番の運動量を持っているので、彼らにずっと期待していた部分があるので、最後このピッチに立たせてあげたいという思いもありましたし、ああいう形でアシストしてくれてよかったです。

Q:ゴールを入れられた。失うものがない。ハーフタイムで戦術的な変更があるにせよ、守備について脇目もふらずという勢いを出す。それは心理的なものが大きかったと思うんですが、それをブレイクスルーと呼びますよね。ホントの意味であの場面で市船がブレイクスルーしたと思うんですが、それが延長の決勝ゴールの理由だったと思います。チームが一皮、二皮むけた印象は?
A:この試合で何かが急激に変わったことはないと思います。当然、こういう舞台ですので最後だということでそれが後押ししてくれたのは間違いありませんが、いつでもあれくらいのパフォーマンスができる力は潜在的に県予選を通じて見てきて、この全国大会を見てきて、また普段の生活を見てきて彼らは本当にオトナになりましたし、絶対に勝ちたいというような思いを持っていましたし、あのパフォーマンスを毎試合やることは難しいと思いますが、最初に言ったとおり、後押しをしてくれたのは最後のゲームで絶対に優勝したい、という思いが彼らに乗り移った。また相手もそれを受けに回ってしまったというところがうまく行った点かと思います。

Q:初戦の長崎日大戦も早々に失点しました。そういう弱点みたいなものがあるんでしょうか?
A:あるかと思います。立ち上がりでの失点とか、得点取った後の失点とか。得点が動きやすい時にあっさりと取られるというのは、プリンスリーグを通して有りましたので、そうう時間を追って、何分に失点しているのかを書きだして、選手に意識付けさせてゲーム運びなんかも少し意識しながらトレーニングやゲームをやってきたんですが、しっかりと、米塚(雅浩)がなんであっちに蹴ったのかというところだと思うんですが、同サイドにしっかりとアクションを起こして、深いところを取りたいというゲーム運びだったんですが、何かいいパスをしてやろうとして見ていないところに蹴り込んだというところだと思います。そういう弱みはありますね。心理的に弱い所があったので。

Q:勝つことにこだわってそのとおりに結果だったと思います。市船のメンタリティが出ていたと思いますが、それをどう選手たちに伝えたのか?
A:ピッチ上で甘さとか言い訳とか逃げとか、最近の選手は持ちやすい部分がある中で、本人達は自分の問題と捉えて、自分の人格を変えると言うか、性格を変えるというか。そこら辺に対して相当なアプローチをしましたし、それが本当にギリギリの勝負で通用する考え方なのか行動なのか、判断なのかというところまで突き詰めていった時に彼らは言い訳や愚痴や逃げということに頭の中から取り払うことができた、ように思います。

Q:市船さんは勝ちにこだわっていましたが、守備を重視する戦い方を選んだ理由は?
A:選んだというよりは、相当サイドバックの攻撃参加については求めてきた部分がありますし、ただ、その技量とリスクとあとは相手を見た時にそれが彼らの中で行けるという判断だったのか、いけないという判断だったのか、そこはピッチ上に立っている選手たちの判断でしたし、こちらとしては「行けよ」という部分もありましたし、そういう意味では彼らが心理的に失点をしたくないと。得点することはいつでもできると言い続けてきた。だからこそ失点したくない、という思いで居ましたので、そういう意味では前に人数を増やして攻撃的にシフトチェンジすることができる。だからこそ守備バランスを意識していた。リスク管理を意識していた部分はあります。チームの特徴として失点が多すぎた。守備意識が低いということがありましたので、いい結果を生むためにチームとして何にアプローチするのかというところで、選手の判断とこちらの判断もあったかと思います。

Q:準決勝を見ても相手に引かれた時にしっかり持つこともできるし、個々の能力も高いと思いますが、こういう大会ではこうしたサッカーが勝てるのかなという印象なんでしょうか?
A:伝統というのはそこで来るのかなと思います。急に何か、市船が変えるということは、いままで培ってきたベースを一気に変えるという事になると思います。そういうサッカーもできるんです。ただ、言い方は桐蔭さんの名前をだして申し訳ないですが、うちにとっては桐蔭さんが理想でしたし、私にとっても桐蔭さんは理想でした。桐蔭さんは昔からそういうサッカーをベースに展開してきて、そういう文化がありました。市船の文化というのは、今の現段階でそれを、スタートから一気にやるというのは私の判断では難しかったし、勝つ事が求められたし、そういう意味では勝つために何が必要かということを考えなければならなかった。という意味でああいう戦いになりました。ただ、ゲーム状況、相手によってはうちは出来る力はある。それをピッチ上で選手が判断しているという事になると思います。

Q:ケガを抱えている選手が強行出場する傾向について、何らかのルール作りの必要性について、どうお考えでしょうか?
A:ケガのことに関して言えば、指導の方針として本人がどう思うか。コチラ側が絶対に出ろという事は岩渕には言っていませんし、出なければならないという話もしていません。磐瀬についても同じです。どうしたいんだと。いう話をした時にどうしても出たいと。それをある程度コントロールするのがオトナの責任だということは重々承知していますが、それを超えて彼らはここに夢を持ってきていますし、そういう舞台です。彼らは出なかったら一生後悔するんです。それを引きずってサッカー人生を送るのであればここで、いずれ治るものですから。ここである程度犠牲を払いながらやってもそのあとある程度回復するという判断があったので。岩渕の事例だけではないですが、サッカー人生を棒に振るようなケガならそれは当然そういうことはありませんが、彼にとってはここに立つことが何よりも大事だったと。このあとのサッカー人生を考えても大事だということで彼の考えを尊重しました。

Q:インタビューで選手のことをおっしゃられていましたが、優勝の場面をご覧になってその時の心境を教えて下さい。
A:選手自身もそこを求めてやって来ましたし私自身も色々な思いの中で市船を優勝させたいという思いがありましたので、スタンドの上に登っていった選手を見たときに、ホントに夢だと思いました。こんなにうまく行っていいのかなと、というくらいに思いましたし、ホントにこれが現実なのかという事を周りの人に確認しましたし、それくらい、すごく大変なことを成し遂げたという風に思っています。だからこそ心ある選手に私は胸を打たれましたし、嬉しく思っています。


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