川崎フットボールアディクト創刊のお知らせ

ご存知の方も多いかとは思いますが、JsGOALが1月末をもって更新を終了し、新サイトの方に統合される事となりました。
Jリーグの取材情報を記事として公開する場として、本当にお世話になってきました。

JsGOALには感謝の気持ちしか無いのですが、そのJsGOALもホームゲームのみの取り扱いということで情報の半分は出せないという状況があったため前から川崎フロンターレ専用のニュースサイトを立ち上げようとは考えていました。

今回、いろんなタイミングが一致して、Webマガジンという形で、サイトを立ち上げる事になりました。声をかけていただき、クラブ側にも理解していただき了解をもらえました。掛け持ちもOKだと言われていたJsGOALの統合による運用の停止は想定外でしたが、そんな動きの中でできたのが川崎フットボールアディクトというサイトになります。

安らかに、お休みください


ケガが癒えたこともあり、久しぶりにU22日本代表に招集された薗田淳に、松田直樹の事を聞いた。薗田は「松田さんは、日本のディフェンダーでは一番好きな選手でした。マリノスの練習に参加したときに気さくに声をかけてくれて覚えています。松田さんは覚えてないかもしれないですが、良くしてもらいました」とその思い出を口にした。

高校時代に、薗田が参加した同じ横浜FMの練習に参加していたという田中雄大も薗田と全く同じ印象を松田直樹に持っていて驚いた。

「高校の時に横浜FMの練習に行ったときに話しかけてくれて覚えています。『思い切ってやれ。ミスを怖がらなくていいから』という話をされました。松田さんは覚えてないと思いますが」

その田中雄大は、松田以外の横浜FMの選手の印象がないのだという。緊張していたというその練習参加時に、緊張感を周囲にまき散らしていたであろう高校生に対するその配慮は、たぶん計算されたものなどではなかったはず。そうでなければ、川崎Fに移籍してきた横浜FM出身3選手が片道3時間もの時間をかけて、会いに行く、その理由の説明がつかない。

松田直樹という選手は常に、そして、何の打算もなく、チームメイトから愛されるキャラクターを備えていた。自らが持ち得たサッカーにおける天賦の才能を背景にして。そして、彼が成し得てきた数々の輝かしい経歴を背景にして。

日本サッカー界が切り開いてきた数多くの新しい地平を彼は目撃し体験してきた。トップクラブでの栄光の日々を経て、定住できる練習場すら持てない3部リーグでの日常の中でプレーしてきた。だからこそ、カズさんの現役引退以降になっていたであろう彼のセカンドキャリアでの活躍は、確実に日本サッカー界により多くの知見をもたらしていたのだろうと思う。

そんな、打算的だと言われても仕方ない理由も含めて、彼の命が失われてしまったこの事実が悲しい。彼の死を悲しむ人たちの深すぎる嘆きを見せつけられて、改めてその事実の重大さを思い知らされて、涙がにじみ出てくる。

松田直樹の早すぎる死が、何故もたらされたのか。もしそれが解析できるのならば、彼に続くアスリートに伝えてほしい。それが、その選手の意思によって防ぐことのできるものであるならば、その経験を伝えてほしい。

彼の早すぎる死を無駄にしないための智慧を、ぼくは信じたい。サッカー界にあるはずのその智慧を、信じたい。松田直樹という誰からも愛された才能の命と引き替えに、サッカー界は何かを手にしなければならないのだと、そう信じている。


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